名 古 屋   覚 王 山 
   
整体 MIKUNI は

2017年の8月に 覚王山から昭和区元宮に移転しました。

覚王山時代のMIKUNIの記事を残存しおきます。

 
 
   
地下鉄 覚王山  
 
 

 
『覚王山』 その響きからして 抹香あふれる仏の落ち着いた雰囲気の地である 名古屋 覚王山。
その地の山から降りた閑静な住宅街の一角に  整体 M I K U N I はあります。
その『地』が どんな具合に人間の営みと心理と体に影響を及ぼし支配されるのかを研究したのが
風水
風の流れ、陽光の当たり具合い、樹木の生育、水の流れ、水の滞留、土の性状、鳥の飛来、
それらが人間に及ぼす静かな影響を
風水という言葉でまとめた考え方のひそみにならえば
名古屋 覚王山の地は 実に
静寂深慮で 蘇生回復を待持し 飛躍活性をゆっくりとふくらませる 街といってよい。
疲れ果て、衰弱し、ゆがみ、ねじれ、思いどうりにならない体を どの場所 で たてなおすのかは重大な問題で
その地の 風も水も緑も光も 人の 気 の流れに大きく左右される。 
整体をするものも されるものも あいま見える互いの 気 のぶつかり合いは
その 地 に順応触発され 浄化湧出する。


 
 
 
 

その覚王山の丘陵を 東南に降りて 今の「覚王山東」の交差点をさらに細い東南に入る小道が
江戸時代から 月見の名所として有名な 「月見坂」です。
現在では マンションが並んでしまい かつての江戸時代の月見の名所としての風情はすこしく失っていますが
残存する数本の古株の大木が時代の懐古をさそいます。
そんないにしえの街道をさらに東南に降りると 田代小学校の正門にゆきあたります。
その田代小学校の南門の 前に  整体 M I K U N I はあります。




さて この 月見の名所の月見坂は 高針街道の一部です。
高針街道とは まだ現在の広小路通りが開通しない頃は 名古屋と高針方面を結ぶ大街道でした。
名古屋市内と高針の物流の中心で石炭・肥料・食物などが往来し
街道を行く人々は この月見坂の坂の麓の上にあった 「坂本屋」という屋号の茶店で
昼は休息所となり
夜は月見の名所となていたとのこと。
古い地誌によれば この茶店 「坂本屋」は加藤金兵衛という御仁が開いていたとの事です。
なお 古い地元の人の話によれば この「坂本屋」は 雰囲気のある居酒屋として昭和56年まで存在していたようです。


整体 M I K U N I の北側にある 田代小学校は 春には桜の花びらが吹雪の様に舞って
整体 M I K U N I の玄関前におびただしい桜の花びらの歩道をつくり、
秋には 紅葉、夏にはゆったりとした緑陰と 四季の推移を満喫できるエリア。
そんな田代小学校の歴史は明治6年にはじまります。
当時月見坂の中ほどにあった尼寺を校舎として 田代小学校の全身である広徳学校がひらかれました。
当時 広徳学校の西側の山には秋 マツタケが出て生徒がよくマツタケ狩りしていたとのことです。



こんな江戸 明治 大正 昭和 と経てきた環境に  整体 M I K U N I は 2009年8月に設院しました。

なぜ この地に設院? それは、

整体 M I K U N I が その拠ってきたるところが インド・ブディズムの人体思想の影響を多分に蔵しているところから
名古屋 覚王山を選択した由来でもあります。
「覚王」 とは 覚り-悟り-さとりをする王 すなわち 釈迦・ゴ-タマ シッダル−タ のことで
「覚王山」 つまり 悟りする釈迦の山 の意味。

さらに 
  整体 M I K U N I の北にある 覚王山日泰寺の特異な性格は
 寺院そのもの成立が仏教の諸流派を超えた宗派のない寺院であることであります。
それは流派にこだわる日本の寺院の中では特筆にあたいするものです。
仏教流派のこだわりから自由になることで より直接にインド・ブディズムの人体思想の本質に近ずける道を期待しつつ
今一度 覚王山日泰寺の起源をさかのぼってみましょう。
まず 明治31年にもどります。

明治31年 (1898年) インド ルンビ二 近郊の ピプラ−ワ− にて
イギリス人 ペッペにより 仏舎利 (釈迦とその一族の遺骨) が発掘された。それは骨壷に入った遺骨であった。
その骨壷にあった文字解読により その後に釈迦とその一族の遺骨であることが認められたのである。
元来 インドでは仏像品そのものの流布は少なく その釈迦の遺骨あるいはその縁あるものを重視する傾向がある為
この発見は大きな意味を持つことであった。
翌年明治32年 この遺骨はイギリスからシャム譲渡され
さらに翌明治33年に シャムから日本に送られた
その後 明治37年にその仏舎利安置のため 名古屋 覚王山に寺院設立、
さらに 昭和24年 その寺院を日泰寺と改名し 覚王山日泰寺となる。

覚王山の地名にこめられたインド・ブディズムの源流
と原点は
つきつめれば いかにこだわりから自由になり覚り-悟り-さとりを得るかですが

 
それこそが  整体 M I K U N I のめざす 「こだわりから自由になる体をつくる」
 最終目標とぴったりとかさなってくるのです。

もともとが丘陵地 覚王山は散歩してみるとわかるが実に起伏にとんだ味わい深い街である。
そんな覚王山をウオーキングする人はおびただしい。

残念ながら さすがに下駄や草履でウオーキングする姿はほとんど散見されないが
下駄での歩行は実は体にとっては まことに良好な影響を与えて推奨もので
とくに 外反母趾・偏平足・巻き爪・浮き足・などに悩まされている方にとくにいい
なかでも 鼻緒の太いしっかりした下駄は 親指のけり出しを強くすることができ なおのこといい

かの きんさんぎんさんも シューズを履きだしたのは やっと105歳の誕生日の頃からだと言う
明治生まれの きんさんぎんさんにとって それまで草履と下駄しかはいていなかったが
それだからこそ あそこまで存命できたのかもしれない。

わらじ とか ぞうり とか 下駄 に慣れだすと その10本の足の指の開放感はたまらない。
10本の指を開放ないしは解放してやると それまで拘束されていた指の血行がよくなることも勿論あるが
さらに それまで五指が一緒にしか動かなかったのが バラバラに各自に動き出す。
靴の欠点は 五指がヒトカタマリになってしまい 五指の一本一本が本来の別々の動きを奪ってしまうことである。
親指は おやゆびの
小指は こゆびの
働きがある
人間のからだは それぞれの各部位が一体化すればするほど微妙な機能の能力は低下してしまう。
指の解放こそが 足を飛躍的に健康にする。


じつに 歩行は健康の原点だが 以外に正しい歩き方を実践している人は少ない。
観察していると 歩き方は多くの身体の情報を提供してくれるが
まず 歩く本人が疲れを感じない歩行が大事で正しい歩き方は重力分散がうまくできて脚の各部位の負担が少ない。

じゃあ 一体どんな歩き方がいいの? とよく質問される。
ポイントは三つ。
1    頭から糸で吊り下げられている感覚で歩く。
2    大またでできるだけ広い歩幅で歩く。
3    踵かかと から足をつく、最後に親指で蹴りだす。

胸をはって アゴを引いて 頭を上げて 手を振って 等とよく言われるが
こうした所作は どこかに力点がかかってしまい体を硬直させるので望ましくない。
脱力しながら 軽快に 楽しそうに歩くのが一番で それは 頭から吊り下げられて歩く感覚がいい。
つまり ピノキオ感覚である

 
ファッションモデルの歩く時の理想もこの頭から引っ張られている感覚で というものである。
むやみにりきんでいては優美な歩行はできない。
平地を歩く時に 使う筋肉は ハムストリング つまり太腿の裏側の筋肉で
この筋肉をメインでつかっていると 足の裏にかかる重力バランスが理想的になり長時間あるいても疲れにくい。
ところが 悪い歩行は ふとももの前部かふとももの側部を使っている。
そうなると 足裏にかかる力点もずれてしまい 疲れやすいだけでなく
殿部内と股関節まわりと膝や足首や足の甲の痛みを誘発しやすい。
なかなか ハムストリングを使って歩くといっても 最初はかなりむつかしいと思う そこで 


大またでできるだけ広い歩幅で歩く。
 踵かかと から足をつく、最後に親指で蹴りだす。
これだと 自然に ハムストリング つまりふとももの裏側に筋肉を使うことになる。

名古屋 覚王山 界隈は 整体 M I K U N I の歩き方指南に呼応するように
頭から糸で吊り下げられたようにウォーキングする人たちであふれている。

朝日の昇る前頃から 名古屋 覚王山の 閑静な住宅街の街路には モゾモゾと散歩者が胎動する。
日泰寺のだだっ広い境内には 体操する集まりのグループやら 参拝する敬虔な人がやってくる。
朝気
ちょうき 朝のすがすがしい気 を満身にうけ体を動かすことは健康の実感である。
整体 M I K U N I にも こうした朝の散歩族の方々が来られるが
散歩は 勿論いいが ただ歩くのに加え 歩行の中に巧みにストレッチや柔軟体操等を取り入れるやり方を伝授。
ただ漫然と歩くのも価値があるが いろんな変化をもたせて日々の歩行をするのも加えると
それまで使わなかった筋肉や骨格を刺激し 弱点や持病を克服する てがかり
 を見出せるかも・・
いつも 決まりきった同じ動作や動きをしていると身体の偏りが生じやすいので
変化という概念、常に新しい動きをとりいれようとする心構え、通常の習慣の反対行為をする勇気、
などは 身体に時に新鮮な刺激をもたらし 以外な驚きを生む。

 

変化、 これこそが 最も簡単に経済的に瞬時に身体能力の潜在力をひきだすもの。
たとえば
散歩のコースを変える、散歩の時間をずらす、散歩の時の服装を変える、散歩の時の靴をかえる、
歩くスピードを変える、歩く歩幅を変える、歩く時の手の振りを変える、
歩く時の視点を変える、
歩く時前方を見て歩く習慣を 時々空を見上げながら歩くことを間欠的にとりいれる
これにより 頚椎まわりの筋肉を充分刺激しつつ 空の青さを網膜に焼きとどめれる。
頚を こんどは 右に左に交互に回旋しつつ景色をみながら歩行、これにより斜角筋や胸鎖乳突筋を刺激する。

歩く時の呼吸法を意識的に変える、
呼吸によって筋肉を内側から自動的にマッサージされていることをご存知だろうか?
横隔膜
おうかくまく はとりわけ呼吸時に大きく上下し内臓をマッサージする、
この横隔膜の内臓マッサージは 下手な指圧師の指圧より数段に気持ちよく効果が高い、
腹式呼吸が 信じられない効果がもたらされることは承知のことと思う。
腹式呼吸の利点はただ 酸素がより多く体内に取り入れられ 老廃物がより多く排出されるという点のみならず
この体内マッサージ力の力強さにある。
腹式呼吸の手馴れた人が行う呼吸で 横隔膜は25cmぐらい上下する。

次に 腹横筋
ふくおうきん この筋肉はお腹のまわりの深層で 樽たる のあたかもタガのようにワッパになって
お腹をぐぃとしめつけ またふくらます、この筋肉が呼吸のとき横隔膜と連動して動くのである。
この 腹横筋 ダイエット効果に抜群の作用で お腹周りがゆるんだ時にこれを刺激すると簡単にへこむ。
さらに 慢性腰痛もちの人にも これを締め上げることで顕著な改善を見る。
身体改造の秘訣となる すぐれもの筋肉がこれである。
この筋肉は 強制的におなかをふくらましたり ひっこめたりして自在に刺激できるので散歩の途中でやれる。

さて こうして 単なる散歩を随所に変化を盛り込むことで 奥深く味わいの濃厚なものにした歩行者の群れが
名古屋 覚王山には おびただしい。

時に 満点の星の下 名古屋 覚王山一帯に 横隔膜や腹横筋の収縮する筋肉音が
おびただしく 羽音のように響きわたるのは 錯覚だろうか?

名古屋 覚王山の地域的特色は 転勤にて住居を持つ人が多いことである。
転勤の方専用のマンションが多数林立し 日本の全国からやってくる。
整体 M I K U N I にも 転勤にて名古屋 覚王山に住んでいる方々が多数こられる。
札幌 弘前 仙台 東京 千葉 横浜 静岡 広島 福岡 と
各地の話しをしながらの 整体施術は
ふるさとの地の風土をあたかも目前に再現されている感覚で
施術を受けている方は 大脳にある 
海馬かいば と 
扁桃体へんとうたい の高まる活躍で
一挙に情動と過去の記憶で情緒的な安らかさに満たされる。
時に 札幌郊外の温泉の湯けむりであったり 弘前のリンゴのいたいけな木立であったり
千葉の収穫されたばかりの大粒の落花生であったり
福岡の屋台の魚の煮物であったりする。
こうした会話をしながらの 大脳皮質を刺激するヘッドスパは至上の効果をあげ
それは 愉悦である
整体 M I K U N I の ヘッドスパが他のパーラーでのそれと何が違うのかというと
その圧の入れ方が 単に頭蓋骨の頭皮にとどまるのではなく 其の射程を頭蓋骨をとりぬけて
その脳のなかの 海馬かいば と 扁桃体へんとうたい  間脳や小脳 へとどくようにベクトルを設定していることである。
もちろん それらに実際どのように作用しているかの実証は困難であるが
問題は術者の圧の入れる時の其の入れ方である 
つまり 小手先で 指だけの力で頭皮をマッサージする気合と方向で行うのでなく
全身の力が 指先を通して 指先はただスルーし力が かけ抜けてゆく感覚で行うと
これを受ける方は ただ頭皮にとどまるのでなく 脳のなかにグワーンと刺激がしみこんでゆくように感じるのである。
・・・・・・・・・・・・・
身体のどことない不調を永年訴えていた人が 紹介などで 整体 M I K U N Iの門をくぐり
整体 M I K U N I の ヘッドスパを終えると ほぼすべての人が
  『 頭の中が すべて入れ替わったよう 』 との感想。
名古屋 覚王山で 大海を泳ぎきった後のような 爽快感を味わう。


           
                                          
 身体の慢性不調に悩む   えもいわれぬ爽快感 
   

こうして 体と頭がよみがえった後の リラックスしながらの街の逍遥はさらに新鮮にみちている。

名古屋 覚王山は その日泰寺の参道の両辻にならぶ商店群は 昔懐かしい風合いの店がならぶ。
たとえば こんな家族総出でいとなむ店があったりする。


外人を相手に 得意の英語で相手する看板娘に、冷や汗をかく兄貴、うれしがる祖父。

さらに歩くと おもちゃ屋の前では 泣き叫ぶ子供に手を焼いているお父さんが膝をくずして子供の説得に当たっており
それをシニカルに見下ろす若いおかさんがブーツ姿でたっていた。


こんな光景こそが 世代をかんじさせる渋い味わいの深い観光資源のひとつだとおもうがどうであろうか。

さらに歩くと なんと まとわりつく野良猫を ついかわいくなってしまい
その場で靴を脱いでその毛並みの感触を楽しむ婦人がいた。


やがて 名古屋 覚王山に夜のとばりがおりる頃 家路にもどれば明日への湧き上がる活力を感じる。
満天の星が 身体の蘇生をともに祝ってくれているかのように・・・・・ 

 


整 体   M I K U N I  の一日は まず 頭を刈るところから 幕があく。
毛髪刈りは 古色蒼然とした 毎朝の光景。
刈り込んだ頭の軽さは  打てば響く身のこなしの軽快をもたらし 朝の張りつめた冷気の中で
今日一日 起こるであろう難問も難題も 当意即妙に解決できる自信をわかせる。




それでも 大寒の冷気は短髪頭には やはりきびしく ことに雪の降る早朝はつらいが
ただ その寒冷に耐えることで 気鋭が磨かれ 一瞬、百戦錬磨の人物になった気持ちの高ぶりを得るのは悪くない。
そんなあんなで 刈りたての頭で 
裂帛れっぱく の気合を入れて路上に躍り出ると 雪が積もっていた。
こんな雪上散歩が堪能できるのも 覚王山ではままならない貴重なこと、
降り積もったばかりの雪を 踏みしめる サクッサクッという音が
足裏から体の中芯を上昇して頭部まで響きわたるようだ。
人間は 耳から取り入れる音以外に 骨から伝導して感じる音もあるが まさにこの雪を踏みしめる音は
骨格で呼応し 骨格を伝わり 感じるような実在感のある音である。
文字どうり 雪を骨で感じる。
その昔 北陸のとある禅寺で修行していた時 座禅を組んで そのとき耳に入った 
庭の
かけひの竹が石を打つ カーンという音が まさに骨に染み入る音だったのを思い出す。

ご多分にもれず 覚王山がある名古屋市千種区・
ちくさく には 多くの寺院があり
それら あれやこれやの寺院めぐりも すてがたい渋いたのしみがあるものである。

そもそも この 千種という地名そのものが 味わい深い。
古今和歌集に
「 秋の野に乱れて咲ける花の色の ちぐさに物を思ふころかな 」
と あるが 千種というと この歌をまず思い出す。
ここでの意味は ちぐさ とは もろもろの意味であろうが それから連想させるるのか
千種は いろいろな花が乱れるように咲く街のイメージが強い。
実際には 千種区は広く日本の都市造型の欠点が典型に出ている
町全体を統一する骨組みが欠如しているのはいわずとしれたとこだが
千種が持つ 派手さを極力おさえた語感は味わうべきものがある。


千種のひなびた 横丁をはいりこむと 偶然にも歳月をいくえにも経てふるびた 整体の看板をかかげる家屋があった。
いったい どんな整体家が施術をおこなっているのか?
引き戸をゆっくり引いて ごめんください と声をかけたが 家人はなかなかでてこない。
たたきの土間が やけに広い。靴箱の上には織部の花瓶がひっそりとたたずんでいた。
半時ほど待ったが 誰も来ないので 静まりかえった明治をおもいださせる家屋を後にした。
まだ こんな木造家屋で しかも整体のなごりがあるとは・・・・
かつて 整体が まだ海のものとも山のものともわからず 社会的認知が無かった頃
非科学的な新興宗教の一派と見られていた歴史を感じさせる 看板であった。

今や 整体もいくたの整体家の研鑽と臨床を経て
医者みずからが 自分の身体をたてなおすために施術を受ける時代となった。
肩こり や 腰痛 などこそ整体でもっとも治しやすいという
社会的認知がされるようになったのである。


千種の お寺まわりをするとよく法事にぶつかる。
そんな偶然に目にする光景で
何年かぶりの供養を済ませ 寺からでてくる高齢者の足どりが たしかで力強かったりすると
なぜか ほほえましいものがある。
昨今 整体を受ける高齢者が 一様に希求しているもの それは死ぬまで自力で歩きたい ということ。
自力で歩けないと 人間はとたんに衰弱した体となってしまう。
それが 冷徹な人間という動物の宿命である。

したがって 千種のまちまちには 歩行する高齢者のおびただしい数にどきもをぬかれる。
歩行で鍛えられている 千種の高齢者の方は したがって生きる気力に横溢している
と 感じるのは当然で それは 坂の多い千種区を散歩するのは ある意志がないと
へこたれてしまう だから ある程度の気迫がないと 千種の散歩はできない。

さらに 千種で目にすることの多いのは 
乳母ぐるまやベビィーカーで 赤ちゃんをひっぱって 街を散歩する若いおかさんたちである。
これも実に 多いのだ。とくに 晴れて空気が澄んだ春の日などは 千種じゅうが
ベビィーとヤンママで みちあふれ圧巻である。
残念ながら 名古屋千種ではヨーロッパの多くの街で見られるような りっぱな並木は少ないものの
それなりの 樹木や花々が路上にあり
かすかに漂う花の香りのなかで どこかしこ 乳母ぐるまのよろよろとまわる車輪の回転は
たよりなげで それがいたいけな生命力を予想させ いじらしい。
もちろん 日ごと重たくなるベビィーは 若い非力なヤンママには重労働をかすこととなる。
坂を押す 乳母ぐるまやベビィーカーの重さは半端ではない。
したがって ほどなく 腰をいため、背をいため、腕をいためる。
結局、  整体 M I K U N I  に来院となるのである。













 
   整 体   M I K U N I