整体 MIKUNI

2017年10月の整体
 
座りすぎの罪
 

昔の小学校や中学校では 教室で授業中に

不都合な学生が教室から出され 廊下で立たされるという罰をうけることがあった。

私自身も こうして廊下で立たされた思い出はつきない。

私の場合

むしろ 積極的に廊下に立たされることを狙って

教員の怒りをあおることをしていたことが多い。

なぜなら 教室ですわっていることが苦痛であり 

廊下でたっていたほうが快適であったからにほかならない。




もちろん 

こうした生徒のこちらのもくろみを見抜いて

立たせながら ブリキのバケツに水をいれて 

これを両手でぶら下げ立たせる罰を課す方法をとる教員もいた。

これは 腕がかなりつらいが それでも教室内ですわっているよりも

廊下に立っていたほうが いかに解放感があり快適であったか

今でもそのすがすがしい感覚は甦る。


最近では

日本人が座りすぎて健康を害しやすい という説が流布され始め

できるだけ 座る時間を縮めようとする動きがやっと本格的に出てきたが

すでに 座ることの回避を 私の場合 

かように はるか何十年も前から実行して来た。


座ることが多くなりすぎると 身体にとって良くない事は

おおよそ容易に想像がつくであろう。

座位姿勢は とくに下半身にとってダメージが大きい。


座っている姿勢は

基本的に背骨の胸椎と腰椎、背筋群 の部位が

上半身起立の維持をもたらし

でん部の筋肉群と骨盤がそれらをささえる図式となる。

これにたいして

座位における下半身はほとんど機能停止状態となっているわけで

 ふくらはぎ、ふともも、足首、足指

等はほとんど負荷がかからず

その結果

これらへの血流が悪化し 筋肉刺激が低下し 関節への適度な負荷が低下し

下半身の劣化が進むのである。

また

座位姿勢は その座り方が悪いポジショニングが続くと

上半身の姿勢をくずし

腰痛、背中通、胸痛、内臓機能低下、がもたらされ

猫背や ストレートネックや 眼精疲労や 頭痛を

うみだしやすくなり

身体機能にダメージを与えやすい。


ただ 座位姿勢そのものが

日本の文化所産と密接に連結している歴史的背景があり

座位でなければならない

タタミの上での所作、細かい手工芸の緻密な仕事、宗教上の慣習、

炬燵の様式、囲炉裏・炉端の習慣、ちゃぶ台 などなど

座位でないとおさまらない文化の継承がある。


また 身体美という観点からみた日本文化の特徴は

顔から上半身を重要視し力点がこれらの部位に置かれ

下半身を上半身よりは軽視する傾向にある ことは指摘できる。

これにより 立ち姿であっても 重要なファクターは顔から上半身に集中し

下半身はややもすれば つけたしのような深層心理が見受けられる。

こうした習性は 立位より座位の姿が重要視される結果をもたらし

日常的所作も 座位が主となる文化となった。


このような日本の背景を考えると

 座位時間を一気に減らすのは困難な側面があるが

身体が壊れる原因が座位姿勢にあるということが

はっきりと手に取るように得心がいくと

座位姿勢との決別は早い。


結局 座位姿勢からの決別は

生活の様式を根本的に見直すという大がかりな変革となるが

身体にもたらされる福音は 想像をはるかに超える莫大なものとなる。


ヒトの進化を見直せば

ヒトは立って歩くことが最適になるように体が進化してきたのであり

立って歩く時間がすくなくなればなるほど体の機能は低下する


こうした現状を踏まえ 私が提唱したいのは

学校でも スタンディング・授業を増やすことである。

つまり 立って授業を受けさす、もちろん廊下ではなく

教室の中で全員が立って授業を受けるのである。

こうしたやり方により 居眠りが防止でき

体も健全になり つまらない授業も少しは面白くなるかもしれない。

なぜなら

つまらない授業は スタンディングしている学生にしてみれば

つまらないという身体反応を全身で示せることになり

その圧迫で 教員側も対策を考えなければならず

より真剣勝負の空間となるからで

教員も学生も立ちながら殺気にみちた切迫した授業に変容する可能性が高い。


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