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猫背は一刻も早く なおすべき

 
猫背で代表的な芸能人は

太田光と二宮和也である


 
 太田光  二宮和也
 

いずれも その背の丸かった風情が なんともいえぬ哀愁が漂い

心ひかれるというファンも根強いらしく

猫背も ひとつはそのひとの個性を象徴するひとつかもしれない

だが

 身体の能力の観点からすれば

あきらかに 猫背は

放置しておくと軽視できない重大な症状をもたらすことがある警戒すべきものである

ことは たんに見た目だけにとどまらず

その よって来たる体への影響は じつは 甚大であり 

仮に猫背でなくなった場合の身体能力の差は歴然である はずである

では

具体的に猫背の様相とその治療施術を述べてみよう

猫背の整体施術は 主に骨格と筋肉群を対象とするので

まず 背中側からみた解剖図から始める

猫背を形成する骨格は以下の黒字のうち

両肩甲骨
頚椎
胸椎
腰椎
仙骨

である


これを側面から見た場合 正常な図が以下 (肩甲骨は別途)

これで 背骨がそれぞれ弯曲していることがわかる

弯曲を赤いカーブラインで示した



なぜ このように 弯曲しているかというと

弯曲することで荷重を分散し これにより

筋肉群にかかる荷重エネルギィを分散しながら軽減するのである

筋肉群にかかる荷重エネルギィが軽減されると

疲労度は軽減し 疲れにくい体となる

猫背とは まさにこの弯曲が破綻していることをいう

破綻すると

荷重エネルギィは増幅され 各関節と筋肉に負担が大きくなり

疲労しやすく さらには 内臓を圧迫しやすくなり

さらには

おのおのの弱点を直撃し その人特有の症状がでやすくなる

猫背とは 

これらの背骨の
赤印のカーブの弯曲度が崩壊し

頚椎の弯曲が直線に近くなり

胸椎の弯曲がより大きくなり
 
腰椎の弯曲が直線に近くなる、或いは 弯曲が大きくなる

仙骨の位置がより重心線に接近する

と 体型そのものを狂わしてしまうのである

下図を見てみよう



4つの人体図で 左の正常を基準にしてみると

左から2番目の 
頚椎X としたものは 頚椎が前方に突出している

左から3番目の 
胸椎X としたものは 胸椎が後方に突出している

いちばん右は 
腰椎と仙骨が前方に突出している

正常以外は ほぼ猫背の形態となる


では 次に 肩甲骨はどうであろうか

下図を参照にしてもらいたい

猫背とは この肩甲骨が前面に
内傾化することである










こうした肩甲骨が内傾すると

上半身は横方向に丸みを帯びることになり

それは単に見栄えの悪化にとどまらず

肩まわりの可動域を大幅に制限するし

ひいては かたまわりの硬直を慢性的に生む事態となるのである


以上からわかるように 猫背とは骨格に準じていえば

縦方向の脊椎の弯曲異常と 横方向の肩甲骨の傾斜化異常と その混合という

3つのタイプに大別される



さらに細かく分類すると 縦方向の脊椎の弯曲異常の中に

その主要な異常が

頚椎にあるのか、

胸椎にあるのか
 
腰椎にあるのか

仙骨にあるのか


あるいはその混合なのか

に類別される

ただし じつは 軽微な猫背以外は

そのほとんどが 各部位が大なり小なりの異常をおびている混合型のが

ほとんどといっていい

それは つまり

深刻な猫背とは

 単に部分的なものではなく 全身性の荷重バランスをくずす病態であることがわかる


では 猫背のからだを いろいろ 見てみよう

以下の男性図は

肩の位置があきらかに前方に内傾し

頚椎が前方に突出し

胸椎の弯曲が強くなっている

典型的な猫背である



以下の男性図は

仙骨が中心線に接近しすぎており

そのため 骨盤と下腹が前方に強くと突出してしまっている



こうした体型は 猫背に加え 慢性的な腰痛をおこしやすい

下図の女性も このタイプである



下図は 肩甲骨が前方に内傾し 頚椎が前方に突出した猫背である




下図の女性と男性も 同タイプと言える





頸椎 胸椎 腰椎 といずれの弯曲も破綻してくる体型が以下である 








以上 骨格の視点から猫背を見てきたが

猫背の矯正を骨格の視点から見る場合

さらに重要な問題がある

それは 骨格そのものの骨形状が変形する点である

人間は年齢とともに骨格そのものの形状が変形する

もちろん 骨格の変形をみずに一生を終える人もいるのであるが

慢性的に筋肉の強いコリなどで 常時骨格を圧迫し

骨格の正常な位置を保っていない人は

年齢とともに骨も変形しやすい

整体で矯正する場合 骨格の観点からみれば

骨格の位置のみに異常が見られる場合 その位置を健全にすればいいのだが

骨格そのものに変形がある場合は

その変形を復元するには 相当な年月をついやさなければならない

もちろん それはひとえにその人の年齢による

年齢が若ければ若いほど 骨格の変形の復元率は高まるが

ある一定の年齢を超えた場合

変形した骨格の復元は困難となる

もちろん  変形した骨格の復元は困難となっても

猫背そのもの矯正が まったくできないというわけではない

なぜなら 猫背の矯正とは 骨格に対して行われるでけでなく

筋肉群 及び 内臓、精神 も対象となる その総合であるので

骨格の変形が歴然としていても

猫背の矯正が まったく復元できないわけではない

ただ そうした場合 復元治癒率が低下する

この場合の大きな指標が年齢なのである

猫背を一刻も早く治すべき

という表題の意味は ここにある


公開された資料によれば

太田光は 1965年5月13日の生まれ

二宮和也は 1983年6月17日の生まれ

であり 2015年1月1日の時点で 50歳と32歳である

2人の猫背の復元治癒率は

このデータだけからして

太田光より 二宮和也の方が高い 

そうした意味合いである

もちろん

再三 述べているように

整体の猫背矯正の施術の対象は 骨格のみにとどまるわけでなく

したがって その最終的な復元治癒率は

骨格の状況だけで決定されるわけではない

大事なのは

おのおのの猫背の根源的な原因の分析、

および

すでに骨格の形状の変形・変質が始まっているのか?

それが 重要なのである

逆にいえば 骨格の形状の変形・変質があらわれてしまうまでも

猫背を放置してはいけないのである


たとえば 猫背の原因が

強い心因性のストレスから来るケースもある

解決しにくい問題に直面して 心因性の強いストレスにみまわれると

人はうつむく時間がおおくなり たえず頭をたれて沈思黙考する姿勢をとりがちである

このとき 首は前方に突出しながら たれさがり

背中は丸くなり

足が大きく開かれ 骨盤が長時間におよんで開いたままの状態がくりかえされる

こうして きわめて短時間のうちに 強烈な猫背になってしまうこともある

また ひごろより 鬱屈する習慣がくりかえされると

猫背になってしまうこともある

たとえば

しなければいけないことが多すぎる多忙で追いまくられている人も

猫背になりやすい

それは 頭の中が やるべきことで充満し だが現実には体はそれに追いつかず

結局  頭ばかりが前方に飛び出ていってしまう体勢が続き

頭部と頸部が前方に突出し 結果 猫背となってしまう

また 猫背の姿勢を はからずして意識的にとってしまっているケースがある

それは

猫背という姿勢で戦闘する意思のないことを表現しようとする場合

また 猫背によって 『私は疲れている!!』 と無言の訴えをする場合

猫背のポーズで

私は私なりに いろいろ考えているのだからじゃましないで という意思を示す場合

こうしたことが習慣化し 果ては確固たる猫背になってしまうこともある

事実 コーヒーでくつろぎながら 猫背の姿勢を楽しむ人も多い

猫背の原因は 複雑な人格が反映されていることもおうおうにしてある

だからこそ 冒頭でのべたように

猫背の姿に個性を感じて魅かれる人があることも 納得がいく

かような性格を 猫背はもっている


では

こうした猫背を 整体はどう修復するのであろうか?

まず 猫背矯正の対象とする要因を列挙すると 次の6つとなる

このうち 骨格と筋肉が主要な施術の両輪である

骨格 筋肉  内臓  脳  精神  呼吸

もちろん おのおの施術の重点がどこにおかれるかは

それぞれの猫背の根源的な原因のありかによってちがってくる

のは いうまでもない

たとえば

胃や十二指腸や肝臓に問題をいつもかかえている人は

猫背におちいりやすいが

こうした場合 内臓を対象とした施術に重点がおよぶ

また

前述したように 頭の中がやるべきことで充満し 焦燥と重圧で東奔西走していると

猫背におちりやすく この場合

脳の整理とあらたなアイデアを生み出す脳の余裕が

もっとも重要になる

さらに

うつ病や統合失調症や自律神経失調症やパニック障害 などで

おうおうにして猫背におちいりやすく

ときに

先行きに希望が見いだせなかったり 失意が続くと

猫背になりやすい

はたまた

呼吸が浅く 息たえだえになると

容易に猫背になる

当然 猫背になる理由は おのおの相違し

複雑な背景が横たわっていることもあり

整体が どこまで踏み込んで施術に及ぶのか 難渋することも多い


整体の特徴のひとつに

全体をとらえて局部を衝き 局部をとらえて全体をうごかす

という概念があるが

これは

局所的にあらわれている症状も たえず全身的な生理運動の一環の中でとらえる

といいかえてもいい

こうしたことを前提として 実際の整体施術の

基本的な第一段階は

猫背を形成している原因の あらゆる筋肉群を徹底的に弛緩 
しかん

つまり ゆるめることである

それにより 骨格の動きの自由を確保し

血行の停滞を解決し 新鮮な血液を送り込み

深い呼吸のできる体にしていく

くわえて

筋肉の過度な緊張からの硬直を解放することで

内臓の緊張をとき 脳の活動をみなおし 精神を平穏にする

実際 猫背で

問題となる骨格をとりまく筋肉群は 一つの例外もなく

すべからく 岩のように硬い

その硬さが 骨格の位置と機能を制限してしまっている

骨にまとわりついた岩のような筋肉を丹念にはがして

骨と肉との永年にわたる癒着をとくことからはじめるのである


再度 警戒してほしい

つねひごろ つぎのようなポーズが多い人は ・・・・














猫背そのものは ことさら 強い痛みがあるわけではないので

つい その解決をあとまわしにしがちだが

それを放置したツケ勘定は かならず後に決済しなくては ならなくなる

それが ひどい痛みなのか はたまた ちがうものなのか

ことは美醜に関することだけではない 

身体能力の根幹にかかわることかもしれない

猫背は そうした先の危険をはらんでいる



 
あきらめてませんか? 脳卒中の後遺症

 

脳卒中 (脳梗塞・脳出血)の後遺症である半身不随に悩む人は多い



ただし 脳の機能の解明が飛躍するにつれて

脳卒中で障害をうけた脳と神経回路の再生リハビリの効果的な手法は

続々と誕生し その恩恵を受けている人が増えている

もちろん 

こうした脳と神経回路の新しい解明で生まれた手法リハビリも

受ける方も おこなう方も 粘り強い継続が必要なのであるが

症例によっては きわめて短い時間で 手ごたえのある成果を出すこともあり

その回復には途方もない時間がかかるのでは?

と 思い込まないことである



整体は

それまでのつちかってきた 全身体的なメカニズムの分析と施術技法を

こうしたあらたな脳と神経回路の研究解明の成果と融合し

独自な整体的リハビリ手法を開発し

臨床的に 短い時間で

おどろくべき成果をあげてきている

整体が カバーする後遺症は具体的には

運動麻痺

痛みとしびれ

うつ病・夜間せん妄・不眠


の3つである




そのリハビリ手法は 短く表現すると すなわち

脳 神経 筋肉の3方向に

反復的でありながら

 かつ 変則的で

ドラマ的な起承転結をもりこんだリズムとテンポで

音楽的な刺激を与え

よって

痛みとしびれを忘却させ

脳 神経 筋肉の 連動するあたらしい回路を開拓形成し

運動麻痺を回復し

こうして 回復への希望の灯がともることにより

精神的な安定をはかり 意欲的な生活をおくれる態勢を

つくることである



整体 MIKUNI では 臨床的に こうした取り組みに精力的である

なぜなら

 難治性の高い 腰痛も肩こりも頭痛も

じつは
 たんに腰、肩、頭 を単独に観ているだけでは

改善しないことが多く

全身的な視点でとらえて はじめて改善の糸口が見いだされることが多く

 難治性の高い 腰痛も肩こりも頭痛の施術は

ほとんど

脳、神経、心、筋肉、骨格、内臓 などと連動して 組み立てられる

こうした意味あいで 古来より

脳と神経回路と筋肉を 連動的に施術するのは

整体のもっとも得意とするところで

ここに

整体 MIKUNI が 

臨床的に 脳卒中の後遺症リハビリに精力的であるわけがある


 
内臓 を 整体する じんぞう編



内臓を 整体することを ごぞんじない方もおられるので

整体が 内臓をどう とらえるのか 記しておこう

より わかりやすくするために

今回は具体的に 内臓のうち 腎臓 じんぞう を テーマにし

腎臓のとらえかたから

内臓を整体する手法を 理解していただく 手がかりとされたい。

腎臓がどこにあるのか?

下図黄色の左右の対のカシュウナッツのような形をしたものが 腎臓。

そこから伸びて下部の黄色のカタマリが膀胱 ぼうこう である。



立体的にみると 次のようになる



これは前面から見た場合、

次に背面から見てみよう



なぜ こんなにしつこく位置を述べるかというと

腎臓は肋骨に一部まもられるようにしてかこまれているからで

これが 後述に腎臓を直接刺激するときに

どこをどう刺激すればよいかと 問題となるからで

意外に腎臓の位置を正確に言える人は少ない。

腎臓の特徴のひとつに 対であることで

内臓でツウィンとなっているのは  腎臓と肺と副腎であり

それだけ重要な臓器といえる

腎臓のはたらきを一言で要約すると

血をきれいにし 血液成分の浄化する ことである

したがって

腎臓は血にまつわる内臓である

腎臓の機能の低下は

血液の汚濁 おだく を生み

身体感覚でいうと どんより とした感じとなる

むかしから 血の気の多い という言い方をするが

これを好意的につかう場合が まさに

腎臓の機能が十二分に活躍しており

滋味ゆたかで鮮烈な血液が豊富にながれている状態をいい

からだは 活力にあふれ みなぎっている

腎臓のはたらきの さらに特徴的なのが

血液をろ過し 不要な成分を尿として排出の準備をすることに加え

ろ過した後に 必要な成分を体内に再吸収することであり

このろ過と再吸収という2つの作用が微妙なバランスで体の恒常性を保つのである

つまり 血液を浄化しつつ 血液の質を維持するという役目をになう

ここに腎臓の本質があり

この本質機能が低下すると 人体の基本的な質がいちじるしくそこなわれるのである

下図は 血液が腎臓のネフロンの球糸体という部位で濾過し

濾過した後 再吸収されていく図である


上図は ネフロンの位置である。

1 つの腎臓の中には、

ネフロンと呼ばれる組織が80~120 万個程ぎっしりと詰まっている。

このネフロンの糸球体と呼ばれるところが、

全身をめぐる血液を濾過するいわゆるフィルターの役割をしている。

糸球体は毛糸が丸まったような形をした毛細血管の塊で、

腎動脈を通って送られてきた血液中の不要なものがここで濾し取られ、

濾過された血液は腎静脈を経て心臓へ戻っていく。

血液から取り除かれた余分な水分や老廃物などは、

尿のもと(原尿) として尿細管へ送られ、

尿細管では原尿中に含まれる身体に必要な物質が再吸収され、

残った尿は尿管を通って膀胱に溜まる。

1 日に作られる原尿は150ℓ にもなるが、その99% は再吸収され、

残り1% の約1.5ℓ が尿として体外に排出される。

この再吸収する99%という数字が物語るのは

腎臓が血液のバランスを維持していく機構であることである


ネフロンが 1つの腎臓に80~120万個個つまっているということは

2個の腎臓で160~240万個のネフロンということになり

この膨大な数の組織が腎臓の本質であり また構造の複雑性となっている

さらに 腎臓はひとたび機能低下し損傷をうけるとその回復がかなり困難といわれてきた

つまり 腎臓の構造がかなり複雑であり 回復性が低いのが特徴のひとつ

このため 漢方的見地からすると 

腎臓は その重要性からいつもトップの位置をしめてきた

たとえば 中国人は 医学的にも栄養学的にも

まず 腎臓の状態を良好にする角度から 全体を見て判断するするのである

腎臓は

こうした位置をしめているのである



そうでない つぎのような状態の場合、

腎臓を整体するところとなる

腎臓が弱っている人

血液検査で腎機能にシグナルが点灯した人

全身のしつこい重ダルサが抜けない人

わきあがる活力に とぼしい人

漢方医に虚証と宣言された人

血液がドロドロなヒト

血糖値、尿酸値、に問題がある人

顔色がいつもすぐれない人

冷え性とむくみに慢性的に悩まされている人


背中痛で腎臓の裏あたりがいつも違和感のある人

とみに 老化を感じるようになった人

突然 ひどい猫背になってしまった人


最近とみに白髪が目立つようになった人

性的機能の急激な衰えるを訴える人

ムクミが強くなり 体のスタイルが全体に丸っこくなってきた人


対象は こんな方々である

腎臓の性質上

腎臓を整体で回復しようとする人は

すでに 腎臓がだいぶ悪化している人といえる

なぜなら 腎臓は軽度の機能低下では自覚症状がすくなく

人は 腎臓の回復に本格的に着手しようと決心するのは

かなり悪化してからのこと という例が多いからで

その点 腎臓がもつ 地味な性格に起因するといっていい。

腎臓を整体するやり方の結論を先にのべよう

下記の表にまとめてみた


直接腎臓に刺激を与える


基本的には指圧と掌圧 つまり

術者の指と手のひらを駆使し

腎臓に刺激を与える
手法である


腎臓は独特な配置をした

筋膜と脂肪に完全に囲まれているので

これらを介して腎臓本体に力を到達させる。

また 

左腎臓は第11肋骨と大12肋骨が

腎臓のほぼ3分の2を覆い 

右腎臓は第12肋骨が

腎臓のほぼ半分を覆っているので

腎臓全域に均等な力を浸透させるには

高度なテクニックを要する。

したがって 

このような腎臓ポジションの性格からして

腎臓臓器への刺激は

背中から、脇腹から 腹部前面からと

角度を微妙に推移しながら

全方位的に おこなわれる。
 


腎臓を活性させる急所をつく


漢方医学を援用し

その
経絡と経穴 けいらく けいけつ理論

ほぼ準じたラインとツボを施術することで

腎臓の変調を回復させる


具体的には

下図で示すように ブルーのラインで示す

2つのラインと 及びその線上のツボである

腎経  じんけい

膀胱経 ぼうこうけい


のラインとツボ になる。

このうち ツボとしては、
腎兪 じんゆ

湧泉 ゆうせん

照海 しょうかい

陰谷 いんこく


が 腎臓を特化して回復途上に乗せる。


加えて、 

整体的にさらに深化させる技法は

この2つのラインの下肢だけを限定し

ラインにそった筋肉群を

徹底して軟化柔軟にさせることである。

つまり 

経絡ライン

経穴ツボ

下肢筋肉群
 の

3つのカテゴリにおいて

腎臓を機能向上させる急所を衝く つくのである。




腎臓に流れ込む血液と血管の質を変える


すでに述べたように腎臓のはたらきの主要なひとつが

血液をろ過して 浄化しつつ 

必要な栄養素を再吸収すること とのべた。


つまり フィルターの役目であり 

このフィルターの目がつまってきてくると

腎臓の機能が落ちるのである。

では なぜつまってくるかというと その原因のひとつが、

腎臓に流入する血液が 流入する以前に

かなり汚濁がつよく にごっているからで

粗野な表現をつかえば 

ヘドロのようにドロドロであれば 

フィルターの目はつまりやすい。

だから


腎臓を保護するには 

腎臓に流入する前に血液を出来うる限り

サラサラな清流にしてやることなのである。

清流のごとくな清潔な きれいな血液にするに 

整体はがぜん その効力を発揮する。

どうやってするのか?

血液浄化する内臓は 

腎臓のほかに もう一つの内臓がある。

それは 肝臓である。 

整体は 腎臓の保護のために 

肝臓の機能を強化する。

肝臓をどう整体するかは 

べつのところで記することにし

肝臓の機能が向上すると かならず 

腎臓もそれにつれて息をつく。

つまり 腎臓の重荷が軽くなるのである。

この意味で 

腎臓と肝臓は補完し合っていることを

理解していただきたい。

ようやくすれば 

肝臓をねらって 血液と血管の質を向上させる。


2番目に 筋肉マッサージを励行して

血行を良好にし 

ヘドロ化した血液をさらさらにし 

肥大した血管を柔軟にし

腎臓に流入する直前の血液を清めておく。


3番目には 呼吸の鬱屈を解放し 

すぐれた呼吸活動をすることにより 

十二分な新鮮な酸素を流入する素地をつくり

血液に鮮度の高い酸素を付与できるように 

体をつくりかえる。


4番目には

骨格矯正 とりわけ

骨盤の矯正 と 腰椎矯正 と 胸椎矯正 を

]十分におこなう。

これにより 身体は知らずの内に 

かなりな運動をこなした状態となり

活発な血行の促進をもたらし 

よどんだ血行を飛躍的に改善する。

骨格の矯正は 熟練の元でおこなわれれば 

おどろくべき運動量を体にもたらすものなのである。

よく 矯正の後 

からだに 

いいようのないこころよいだるさをもたらすのは
 
これによる。


つまり これらはすべて

腎臓の外側で 腎臓を保護する作戦である。

整体は これを 遠隔改造と呼ぶ。

リモコン・リフォームである。

 

腎臓を取り囲む環境を整える




腎臓が 筋膜をへだてて隣接する筋肉がある。

まず これをゆるめ 

腎臓への圧迫があればこれを除去する。

具体的には 

腰方形筋 ようほうけいきん
大腰筋  だいようきん
腹横筋  ふくおうきん


である。これらを十二分に弛緩し 

腎臓への圧迫を解除するのである。

これにより

腎臓をとりまく 構造物を 的確な場所にもどし

腎臓が のびのびとした活動と活躍ができる

さらに

腎臓の上方には
横隔膜が近接しているため、

息を吸うと
横隔膜は下がるため腎臓も下がり、

息を吐くと
横隔膜が上がるため腎臓も上がる。

この様に

腎臓は体の動きにあわせて一定の範囲で動いている。

これは 内を意味するかというと

横隔膜のゆったりとした動きが 

適度に腎臓をマッサージすることになり

腎臓にとっては 

その緩慢な動きが快適となっており 

機能活性の一助となる。

よって 
横隔膜が 動くことによって 

腎臓はよろこぶのである。

ご承知のように 
横隔膜
 
腹式呼吸によってヒトは意識的に動かせる。

腹式呼吸が

内臓全般をマッサージしてくれるのである。

整体は このはたらきを 

内部整体とよび、自力整体とらえるのである。

腹式呼吸が いかに効力があるかの一端である。

整体技法のひとつは、

施術中に患者が 知らぬまに

腹式呼吸をしていくように誘導するのである。

こうして

腎臓を取り囲む周囲の環境を整えることで
 
腎臓を軽快にするのである。

まさしく こうした 深慮遠謀こそが 

整体の本質をもっとも特徴つける。
 

腎臓を回復強化する食品を摂取しやすい体にする


腎臓を回復し強化するには

食の見直しによる食事療法も大きなテーマである。


そのために 整体が何をするかというと
 
まんべんなく多品種の栄養素をとり
 
バランスよく食事を

自然にしたくなる体と頭脳をつくりだす、

ことをおこなう。

手順は こうである。

 1  
腸の機能を向上し 
排泄と排出の順調を促進する

  つまり
 蠕動運動を活発化し
大便の排出を促進する

 2
胃と十二指腸の機能を高め、
食欲がわきあがる体にする

 3
肝臓を強化し 
消化の正常をねらう

 4
筋肉の柔軟と骨盤矯正により 
代謝のレベルを上げる

 5
腹式呼吸の習慣化をうながし 
  腹式呼吸により 
諸内臓を自律的に
マッサージできる体にする

 6
頭蓋骨の整体により 
頭部を弛緩させ
その緊張を徹底的にとり、
  間脳の視床下部
摂食調整を穏便にし 
どんな食品も適度にとれる
  精神状態にする。


こうしたことにより

腎臓の回復強化できる食品群を


摂取しやすい状態にするのである。


腎臓の内臓体温を上昇させる


下肢の以下の骨格筋肉群の

徹底した整体マッサージで

血行をうながし 内臓体温を上昇させる。


1 ふくらはぎ 
腓腹筋 ひふくきん、 ヒラメ筋

2 ふともも
    
大腿二頭筋 だいたいにとうきん

これらの3つの筋肉群は 

内臓体温を上げるに

もっとも効果的なものである。

表皮体温ではなく 内臓体温をねらうので

継続的な整体マッサージ療法が必要である。


では 整体マッサージとは どんなものなのか?

通常 マッサージとよばれる技法は集約すると

圧す おす  
押す おす  
なでる     
さする     
引っ張る
  

の5つになるが、

整体マッサージの場合は これに

回転
回旋
ゆらす
ねじり
ひねり
てのひらをあてる



加わり より多彩で奥深いマッサージとなる。

特徴的なのが 

単に筋肉を対象とするだけではなく
 
たえず骨格の動きを

ともなった視点で動かすので

その動きは 立体的で多次元となる。

とくに てのひらをあてる 

 
整体の独自性を高く発揮し 

単なるマッサージとはちがい

精神性の豊富な内容となる。

 
毎日の腎臓強化の自己体操を教授する



腎臓を強化する体操の基本は

背中と腰を中心にして 

回旋と回転を頻繁におこなうことに尽きる。

つまり

腎臓をゆっくり ねじりこむことで

腎臓の潜在された活力をよみがえらせる

ということである。

     


気をつけなければいけないのは

急激な動きをしないことで

ナイーブな腎臓は

急激な刺激を嫌がる

ゆっくり ゆったり たゆたうように

おこなうことである。


腎臓と相関反応がある器官を刺激し腎臓の活性。
足と耳



漢方医学においては

 腎臓と足回り および耳の中は

特殊な経絡を通じ密接な関連をもつとみる。

たとえば

加齢性の耳鳴りや難聴の遠因を 腎臓の機能低下とし

また

若年性・中年性のメニエル氏病症候群のひとつである

めまい 耳鳴り の遠因のひとつを腎臓機能の障害とみる。

これらは 腎機能の低下で滋味豊かな血液が耳に供給されない

という説明もなされるが

加えて

耳の特に奥の内耳はリンパ液でみたされており

このリンパ・体液のコントロールを腎臓がおこなっているという

説明もされる

いわゆる 内耳のなかの リンパ・体液のかく乱によると

みなすのである。

こうして 腎臓と強い相関関係のある 耳を刺激することで

逆に腎機能を向上させるのが 整体である。

ここで整体の特徴的なのが 耳といった場合

耳介 じかい、 外耳道 がいじどう は もちろんのこと

耳の周りの側頭部全体を対象にすることである。

これによって はじめて 中耳 ちゅうじ、内耳 ないじ にまで

効力がおよび その反応が腎臓に如実にあらわれる。




足は アキレス腱からくるぶし および足裏にかけては

腎臓を活発にし 腎臓の失調を素早く解決するポイントとラインが

多く存在する。

また 腎臓のみにかぎらず 足は 尿管 にょうかん、膀胱 ぼうこう をも

活性化させる ポイントとラインが密集するので

これらも同時に整体施術をおこなう

足は 腎臓、尿管、膀胱 と広域にわtる内臓を視野にいれた

施術が一気にできるのである。



以上が 腎臓を整体するやり方。

かつては 腎臓を整体するのは 高齢者がほとんどであったが

最近の傾向は 若年や壮齢のあいだにも腎臓の弱体の傾向が強くなった

その原因は 種々にかんがえられるが

わたくしは それを次のように分析している

 
若年・壮齢に腎臓弱体が多くなった原因
 
食品の中に
農薬・添加物・成長促進剤などの
含有が多くなり 
その消化・排泄に腎臓の負担が増えたこと


 運動量の不足により 血行の流れが停滞し 
血液の汚濁が多くなり
腎臓の濾過に負担がかかるようになったこと

 
デスクワークなどが増え 姿勢が悪化し 
腹部の圧迫が増し
ひいては腎臓の圧迫がつよまったこと

 
ストレスにこうむる度合いが増え 
自律神経失調になりやすく 呼吸が浅くなり 
よって
全身の水液代謝が阻害されることが多くなり 
腎臓の負担が増したこと

 
家電普及により 
暑さ・寒さに対する忍耐性は低下し 
体内温度の変化に
腎臓が過敏になってしまったこと

 
西洋医学の薬物の過度の投薬で
腎臓に負担がつよくなった


こうした分析が正しければ

これから 若年・壮齢の腎臓はますます悪くなる

はずである





 おれ だいじょうぶだろうか?



腎臓は そもそもが 血液中の老廃物をろ過し 浄化した後 尿を出し

また 尿の内 再度必要なものを血液に戻し

残ったものを小便にしていく機能が 主たる為

浄化・排泄の役割という 役柄

どちらかというと地味な印象で

内臓のなかでは 主役風でなく 脇役の色合いが濃厚と 

身体のしくみをまだよく理解していない頃は思いがちである



ひとたび 身体のことを学んでいくと

腎臓の働きのたゆまぬ奮戦に 思わず 姿勢を正してしまう人も多いはずである

一般的に言って

人は年齢をかさね物の道理のかんどころがわかるにつれ

浄化とか、排泄とかの いわゆる 裏方の陰の仕事の重大性に

目をみひらくようになるのであって

これは 身体にかぎらず 世のしくみにおしなべていえることである

なぜなら

新陳代謝 つまり 

新しいものと古いもの

若い者と老いていくもの

それらの 交代あるいは転換の機微は

古くなったり 老いたりしなければ ハタときずかないものであるからで

その道理からいって 若い時は あまり腎臓を気にしないのがふつうである

人は 老成するにつれ じわじわと腎臓を気にしだす

また ちがう角度からいえば

老化とは腎臓のへたり ともいえて

腎臓の機能がへたりをみせず しっかりしている人は 

活力にあふれ 若々しい 例が多い

それは 老廃物の蓄積がすくなく

ミネラルや体温や血圧のバランスがよく

軽快な身体となっているからである

さて

腎臓こそ じつは 新陳代謝をおこなう 代表的な内臓である

したがって 腎臓の機能の低下は

新陳代謝の機能が低下することを意味し

そうなると

老廃物で人のからだは あふれかえってしまう

中国の医学は古代より こうしたわけで

腎臓の関連する系統のシステムの健全をまず第一にうたった

つまり 浄化と排出の機能を 活力ある生命を維持するために

最重視したのである

およそ おしなべて 古きものを貴ぶ文化の中国は

身体に関してだけは 古いものをいち早く排出する考えに力点をおき

中国医学の根本としたのである。

それでも

腎臓が 一見 地味で静かな印象をあたえるのは

あながち突飛なことではなくて

じつは よく腎臓の本質をついているものである

それというのも

腎臓はその機能が低下しても すぐにはネを上げない忍耐強い臓器で

まるで 日陰者のように寡黙である

つまり 少々しいたげられてもさわがず

もくもくと働き続ける

たとえば 心臓や胃や腸と比較すると よくわかる

心臓や胃や腸は 調子をくずすと すぐ反応し頻繁にシグナルを送ってくる

陽気でさわがしい臓器である

多くの人は腎臓がどこにあるかさえ知らない

それゆえ

腎臓が悪いと判明したときは 思いのほか悪化していることが多い

それは まるで 長年にわたり放置してきた復讐のように

後悔のほぞをかむ瞬間である

それが腎臓の特色であり

腎臓はいったん悪化すると回復に手間取るのも

こうしたことが要因ともなっている

そもそも 腎臓は他の臓器にくらべ 自己修復能力が低いのが特徴で

腎臓の構造も複雑でさまざまな細胞が集積した精緻な臓器であり

その再生は困難といわれてきたものである

こうした腎臓の性格をふまえたうえで しつこいが再度

腎臓のはたらきをまとめてみよう

 1

血液をろ過し
 

尿をつくり

必要物を再吸収し 

不要物を小便として排出する
 

 2

体内の

水分 ナトリウム カリウム リン 等の量を

一定に保つ

 
3

水素イオンを調整し体内PHを保つ

4
 
血圧のバランスを保つ
 
5

赤血球の生成促進のホルモン分泌
 
6

骨の強化、血中カルシウム濃度調整

以上 おもに6つの機能が腎臓のはたらきである

これからわかるように

腎臓の作用の中心は ほぼ血液の浄化 あるいは血液成分の調整 であり

まさに血液のための臓器である


腎臓機能の低下とは

つまり 血液の濾過率が悪くなり

濾過後に回収されるべき物質が回収されず放出されてしまうことを意味する

こうして 血液および身体全体に 老廃物が蓄積していく

そして それがこうじて 危険水域に到達すると

透析治療か 新たな腎臓の移植の選択をせまられる

ということである

もちろん そんな重篤になる以前に

かならず さまざまな予兆がある

その予兆とは この稿の最初に列挙してあるので再度みてほしい。

あなたも 内臓の整体をするひつようがありませんか?

 
ぎっくり腰とは けっきょく 何なのか?

 

ひとたび ぎっくり腰におちいると

強い痛みで動きがままならず
 その姿はかなり悲しい。

それが重篤であるばあい

 どんなささいな動きをしても激痛が走り 身動きができなくなってしまう。

たとえば それは

通勤の途中 何気なくつり革につかまったとたんに発症するかもしれない


いわゆる慢性腰痛とは 様相がおおいにちがい

慢性腰痛の場合

その動かし方にもよるが 動かせば動かすほど 回復に向かうが

ぎっくり腰は 十中八九 動かせば動かすほど痛みはましてくる

まず この点 慢性と急性の腰痛のちがいがある

とうぜん 重いぎっくり腰に遭遇すると

からだは文字どうりかたまってしまい みうごきがとれなくなる


なぜ ぎっくり腰が こんなに痛いかというと

ひとえに 腰のもともとの構造に由来があるといっていい

つまり その構造からいって

腰まわりは じつは数多くの関節が寄り集まってできており

腰は関節の集合体といってよい。

こうした関節まわりが 本来痛みがでやすくなっており

その関節がたくさん集合しているところに 痛みがでやすい。

それがひとつ。

さらに 腰には様々な筋肉群が入り乱れ集中しており

人体を支え パワーを増幅させ あるいは減少させ

エネルギーの変換をおこない

また 骨格を保護し 関節を守り

と 日頃 大活躍しているが

ひとたび これらの筋肉群がコリを呈し

硬直してくると その機能が低下し

逆に痛みを誘発する根源と変貌してくる。

3つ目は

腰は脊髄から出入りする末梢神経が集中しており

こうした神経が集中していることが痛みをより敏感に感知するゆえんともなる

いじょう 3つの理由でぎっくり腰が かくも痛い。



まず

腰とはどこを指すのか 骨格をベースにしていうと

下記図の

水色した腰椎

赤色した仙骨

仙骨の両側に蝶々の羽根の形をした腸骨

腸骨と仙骨をむすぶのが 仙腸関節 
せんちょうかんせつ 

このエリアが腰である

ぎっくり腰はこれらの骨格を中心にしておこる

 

より詳しく見ると 下図

 


腰椎の位置図は以下



腰椎をさらに詳しくみてみよう

下図の①~⑤が腰椎 ⑥が仙骨である

左から 腹側から見た図、体側から見た図、背部から見た図。


これをさらに 詳しく見た図が以下


次に 仙腸関節 せんちょうかんせつ 。

以下の図が仙腸関節の位置図である

ほぼ肛門の上端切れはしの上にⅤ字で位置する


赤○
 が仙腸関節の場所

 

下図でもっとよくわかるであろう


立体的にみると下図

 



腰椎を仙骨が支え 仙骨は仙腸関節で腸骨でつながり

この仙腸関節が 上半身と下半身のエネルギィーを変換させてゆく

したがって そこには大きな負荷がかかり

この負荷をうけとめるために 周囲には強靭な3つの靭帯がまとわりついている

仙腸関節を取りまく3つの靭帯    
 
前仙腸靭帯

  もともとは関節包の膜であったものが肥大した 
 
骨間仙腸靭帯

   3つの靭帯のうちで最大で最強
 
後仙腸靭帯

   骨間仙腸靭帯を覆う形で存在する

具体的にどんな風に靭帯がついているのかの図が以下


これを見ると 腸骨があたかも蝶々の羽根のように開閉し

その開閉が仙腸関節を中心にしておこなわれており

その安定性をささえるように靭帯がとりまいているのが

分かると思う

仙骨はその動きのかなめとなるように

回転運動もできるようなしくみとなっている

腰痛はまさに この関節のまわりが現場となる


解剖学的には

こうした関節の集合する部位が痛みが出やすい仕組みになっているのが

ヒトの体のしくみの特徴である。

さらに 腰には数多くの筋肉群が集中・連結しており

これらの筋肉群が 身体を柔軟に力強く動かす原動力になっているのだが

これら筋肉群の健康的な柔軟性がうしなわれ硬直がはじまり 

その硬化がある一定の限度を越えると

それまで筋肉群がになっていた負荷の分散や衝撃の吸収に支障をきたし

身体の負荷と衝撃が腰の関節部位を直撃し 

関節部位を強く圧迫することになる

その時 関節部位そのものが何ら異常のない健康体であればよいのであるが

すでに もよりの筋肉群の強い硬直が始まっているという段階では

そのほとんどが

その近辺の関節もすでに正常ではない炎症や変質をおこしている

こうして

硬化した筋肉群 および 疲れ切って変化した関節 の舞台がそろうと

ぎっくり腰前夜である。

それは 疲れがたまり すわりこんでしまった次の瞬間かもしれない



あとは ちょっとした動きやわずかなひねり なにげない動作などで

硬化した筋肉群が 変化した関節を刺激し

問題のある関節をさらに悪化させる一撃となり 

ギックリ というような音をはなって 発症し

激痛をうむ

これが ぎっくり腰 つまり 急性腰痛症である

 医学的にいえば捻挫となる



ここにいたると

病巣に関係する筋肉群は

硬直の極限にいたり 筋肉けいれんの様相をしめすこともある

よく こむらがえり といい

ふくらはぎがツルことはどなたにも経験があるとおもうが

重度のぎっくり腰にみまわれると

これと同様の筋肉けいれんが腰の筋肉群でおこる

こうなると 筋肉そのものも けいれんで痛みを放つ

こうした 関節と筋肉の二重苦にみまわれ

かすかな動きでさえ 鋭い痛みが生じる

では どんな筋肉群が ぎっくり腰に関与するのであろうか

まず 脊柱起立筋 せきちゅうきりつきん である

これは 左右それぞれ3本セットで構成されており 最大の背筋。

いずれも 頭部から腰部~仙骨にわたり体幹を大胆に縦走する。

慢性、急性をとわず あらゆる腰痛は ほぼ この起立筋の腰のあたりの硬直がある

とりわけ ぎっくり腰にこうむると この起立筋の腰の部位は強度の緊張をおびている

このため ぎっくり腰の渦中でまともな起立姿勢が保てないこととなる

 

この脊柱起立筋をよりわかりやすく示した図が下図

赤くしめしたのがそれである

棘筋が硬直すると 椎骨の棘突起の動きを止め

最長筋と腸肋筋が硬直をみると

 仙骨の動きの自由をうばい 仙腸関節に過大な圧力をあたえることになる


筋肉の硬直とは すなわち収縮することになり 

収縮しっぱなしで柔軟を失った筋肉は 

その付着部である骨格の動きや位置に多大な影響をあたえる


次に 多裂筋、下図ふたつである

深部で 仙骨~腰椎の棘突起に連結し


脊柱全体の動きにかかわり とくに仙骨部では太く強靭である

それだけに この筋肉が緊張をはらむと

仙骨~腰椎にわたり痛みを生みやすい





また 別の角度からぎっくり腰の特徴をみてみよう

それは部位が腰であることから 手先や足先の捻挫と違い

体幹の中心にあるため より複雑性をおびる

どういうことかというと ぎっくり腰の発症や痛みは

体幹にある内臓や呼吸の影響を受けやすく

腎臓や腸や肝臓の機能が低下している場合 発症しやすく

腸の働きが悪化し膨張しているようなときは

腸が深部から腰を圧迫し 疼痛をながびかせる

たとえば 暴飲暴食も ぎっくり腰の引き金になる

胃や腎臓に極端に急激に負担がかかるのも

ときに ぎっくり腰を深刻なものにする要因となる

また 呼吸するだけでもその激痛が増幅する時がある

なぜなら 呼吸とは

横隔膜を中心に絶えず内臓にも動きを伝播しているため

この内臓の動きが腰の病巣を刺激する

よく いったんぎっくり腰になると 呼吸が浅くなってしまうのも

こうした回避反応が遠因としてある

こまったことに

呼吸が浅くなると ぎっくり腰の回復にも影響をあたえる

それは 浅い呼吸で

新鮮な酸素を身体にとりいれることが低下し よって

患部への血液供給が低下し

ひいては ぎっくり腰の自然治癒能力を低下させるのである

こうしたことからも ほんとうのところ

ぎっくり腰になったら

できるだけ 腹式呼吸をおこないたい

最初のうちは 痛みが増幅するかもしれないが

次第に痛みがでない 呼吸のしかたがわかってくるはずで

そのコツがつかめると 腹式呼吸がからだの内側から

腰部の病巣を慰撫 
いぶ する感覚をえれるはずである


では ここで ぎっくり腰をさらに詳しくみていこう

まず ぎっくり腰の発症する部位である

大きく分けると 2つに分かれる

ひとつは 腰椎部

いまひとつは 骨盤内の仙骨部

この2か所のいずれかの関節部である

この部位がほぼ2か所に限定されるのが ぎっくり腰の特色で

これが慢性腰痛の場合は 病巣はもっと数が多く広い

この2か所以外の腰痛の様相は

激痛は少なく 鈍痛・鈍重感・違和感・圧迫感など

ぎっくり腰のような病態でないことが多い

整体の施術は まずこの部位の特定からはいるが

特定はそんなにむつかしくない

患者がみずから痛い所に手をそえるからである


    ぎっくり腰の起こる関節の場所と状態
 腰椎部  椎間関節  滑膜性関節
関節包の
炎症や内出血
部分的な筋・靱帯の断裂


関節軟骨の表面が
磨耗・消失 したり、
辺縁部における骨棘の増殖

 骨盤内の仙骨部  仙腸関節  滑膜性関節
靱帯や筋に
部分断裂や炎症・内出血など


骨盤を補強する多数の靱帯の一部断裂もしくは部分的な損傷


上図のように この2か所の具体的な関節は

椎間関節  仙腸関節 である

 滑膜性関節 とは 関節の形態の種類のことである。

これだけでは ピンとこないひともいるとおもうので

ここで まず 関節とはそもそも何なのかの詳細から入ってみよう

関節の理解を深めることで 腰の痛みの理解も深まる

では 関節とは何か? から始めよう

関節とは 骨と骨とが連結される部位をいい

関節があることによって ひとは自由で複雑な動きができる

もし関節がなければ 直線的な動きしかできず

その動きはロボットに酷似する

したがって 関節の機能が高ければ

ヒトはより自由に柔軟に優美に繊細にパワフルに動けることが

想像できると思う


その関節であるが 大きく分けると形態からいって2つに分かれる

ひとつは 滑膜性関節 といい 関節が膜で包みこまれ保護されているもの

いまひとつは 不動関節といい 

つつみこまれている保護がなくただ結合組織で結合されているだけのもの

下図のAが潤滑性関節 Bが不動関節である



滑膜性関節 は 骨と骨とを関節包という膜でとりかこみ

その膜は

内部に滑液を保持し潤滑油として骨と骨のジョイントの可動の滑らかさを生む

その上 骨と骨の先端は軟骨でおおわれている

これらのしくみにより 骨と骨がぶつかりあうことなく動く

さらに関節包の外膜は外側にある靭帯とあいまって

滑膜性関節 を強固なものにしている

ギックリ腰とは
 この滑膜性関節に異変がおきることであり

異変とは 具体的にいうと

関節包を構成する膜の炎症や肥大 あるいは出血

関節包の外側に存在する靭帯の断裂や擦傷

関節包の内部の軟骨の摩耗変性

であり

その異変を神経が知覚し 脳に伝え痛みとなる



したがって ぎっくり腰の関節の治療の柱のひとつは

 この
滑膜性関節を修復することにほかならない

では なぜこの
椎間関節仙腸関節滑膜性関節に異変がおきるのか?

それは この関節に身体の動きの負荷が過大にかかり

それに耐えきれなくなった結果である

その負荷とは 長い間にわたって同じような動きをくりかえしその物理的な負荷や

急激に不合理な角度や方向で関節にダメージを与える負荷、

からだ全体の疲労の蓄積により関節部位血行を著しく低下させそれが負荷となる場合や

加齢による関節部位の老化

などある

もちろん これらの負荷を軽減する防衛システムがもちろんヒトのからだにそなわっている

それが つまり これら関節をとりまく筋肉群なのだ

本来 筋肉群の大きな役割のひとつが この関節にかかる負荷や衝撃を

吸収し分散し平穏化することであり

強靭で柔軟な筋肉群は 多少の負荷の増大や突発に耐えうるシステムとなっている

ところが 筋肉そのものに問題が生じている場合 このシステムは狂って破綻する

ひとたび 筋肉が硬化し硬直すれば 筋肉はその役目がになえない

逆に硬く収縮している筋肉は 関節をさらに圧迫し 関節の異変を大きくし

悪化させることになってしまうのである

さらに 硬直から けいれんも呈してきた筋肉は

筋肉自体も 痛みをはなつので

傷ついた関節と筋肉は互いに悪化を増幅させ 最終局面にむかう

ついには ほんのかすかな動きによって 強い捻挫をおこし

ぎっくり腰となる

これが ぎっくり腰が発生するメカニズムである

たとえば 仙腸関節の炎症と筋肉群の関係を図で表すと以下

 

よって ぎっくり腰の治療は


椎間関節仙腸関節のいずれかの滑膜性関節の状態をさぐりだし

これらの関節に影響を及ぼしている筋肉群をわりだし

その柔軟化をはかり

関節と筋肉群の異変の復元をめざすこととなる


かように ぎっくり腰は

その進行度によっては 深刻な激痛のため

 体に何もふれない方が当を得ている場合もある

いずれにしろ

激痛の波は

なにもほどこさなくとも

時間がたてば自己治癒力で いつかはやむ

ただし 激痛の波がやんだからといって

腰に異変の種や根が一掃されたわけではないことが

みなさん おわかりであろう

では

実際にぎっくり腰におちいってしまった時の応急判断をどうするのか

以下にわかりやすいようにまとめてみた

軽度・中度レベルでは 整体をすすめる



重度の場合は ねているのに限る

というより

ねているのが 一番らくなはずである

このとき むりやり移動すると 痛みはますます悪化する

激痛はかならず 時をまてば おさまるので

激痛の嵐がすぎさるまでおとなしく待ち

軽度・中度に回復したとき

次の手を選択した方がよい

いろんな都合と諸事情で どうしても痛みを至急取りたい時は

副作用を承知のうえで 選択3の ブロック注射も 一つの選択である

歩行不能で どうしても整体を受けたい時は

往診をすすめる

整体院に無理をしてたどりつくまでに 痛みは悪化することが多いからである

 
ギックリ腰の応急対応


    選択 1   選択 2  選択 3

 軽度

 歩行が
そんなにつらくない
 
整体施術

受ける

 ー ー 
 中度  
歩行が
つらいが
どうにか歩ける

 整体施術

受ける
 

 
安楽な姿勢で
寝て
痛みの出ない範囲
体位を色々変え
緩慢に
動かす



どうしても
痛みをとり
一刻も早く
動きたい
場合は
専門医にて
ブロック注射
打つ

 
 重度

 歩行は不能 整体施術

どうしても
受けたい時は

往診を
すすめる 
 
横臥姿勢

寝て
痛みの嵐の
すぎるのを
待ち
軽度・中度に
なるまで
静養
ほぼ1日から3日

 専門医まで
移動可能で
あれば
ブロック注射
打つ

もともと腰には

体重の負荷がかかりそのエネルギィを吸収しながら変換する仕組みになっているので

わずかな動作でも 腰に響くため

痛みがおさまる姿勢をみつけだすのも 難事であるが

下図のような姿勢は 痛みもおさまりやすいが

最終的には 各自がみずから試行錯誤でベストポーズを見つけ出すよりない

 
 
 
 

人間以外の動物は 不調になったら

ひたすら ねて回復をまつ

人間も ぎっくり腰に遭遇したときぐらいは

ひさかたぶりに 動物にもどるのも賢明な選択かもしれない



自律神経失調
を 整体はどう対応するのか?


そのむかし

 自律神経のことがまだそんなに一般的に深く理解されていなっかたころ

医者が診断して患者の不調の原因がつき止められない場合

自律神経失調
と 苦しまぎれに告げることがおうおうにしてあった。


今ではその医師にもよるが 

背後に隠された疾患がないかをチェックするために

さまざまな全身的な検診をしつつ

自律神経の動きが正常かどうかを判断する以下の検査を行う

シュロング起立試験

立位心電図

マイクロバイブレーション(MV)

心拍変動検査 

皮膚紋画症の検査

鳥肌反応検査 

指尖容積脈派

皮膚電気活動


などなど、自律神経失調のうたがいがあるといわれた方は

これらのいずれかは受けた経験があると思う

これらの検査により自律神経失調症は 

ほぼ誤診なく断定される事となる。

ただし 自律神経失調症は

明快な疾患としての性格を有するといえない見解をもつ医師もいて

神経症やうつ病に付随する各種症状を総称したものであり

自律神経失調症とは診断名であり病名ではない として

自律神経失調症をあいまいな呼称との立場の医師もいる

それはひとえに自律神経失調の原因が

心因性にあることが多いところからくるゆえんでもある

それを心的ストレスと呼ぶが

それが根源的な要因の場合

個人個人の心理のヒダにまで深く食い込んでいかないと

単純明快 一刀両断に 失調を復調させることが容易ではない

こうしたことが 

自律神経失調症をあいまいにする背景にある



 また

 自律神経失調症の症状が多岐にわたり

とらえどころのない側面をゆうしていることもあって

自律神経失調症と診断された本人も

途方にくれて漂流するような心境でイライラだけがつのり

体の芯の深い疲れが いっそうますことになる

ことがおおい

さて

 問題はそう診断された後

失調してしまった自律神経をどう復調させるかである

いわゆる やんだ神経の修復。

整体は それをどんな手だてでおこなうのであろうか?

もちろん そのまえに

自律神経はいったい何なのかの解釈を記すのが常套であろうが

すでにこの稿にたどりついた方は

こうした基本的な知識があると察せられるため それをはぶく。

そこで 整体 である。

整体 MIKUNI
 名古屋 三国 でおこなわれる施術を

まず 列挙し しかるのちに詳細を記してみよう

 1
自律神経のうち
副交感神経の優位な状態を
徹底的に実現し
まず体の完全な弛緩の状態をつくる

つまり
筋肉を徹底的に
ゆるめる 
 2
延髄からでる
迷走神経の動きを活性させるため
迷走神経の支配する
臓器をリラックスさせることにより
逆に延髄から視床下部への刺激をおこなう

つまり
臓器への
刺激と弛緩 
 3
瞬時の深い睡眠状態を間欠的に与える

施術中に
数秒の深い眠りを
間欠的に
あたえる

 4
仙骨からでる
骨盤内臓神経を活性化させるため

下腹部および骨盤内器官をリラックスさせ
仙骨の可動性を高める
仙骨と骨盤
を徹底して
ゆるめる

要約すれば 以上の4点になる

いずれも自律神経のうち  まず 副交感神経の優位な状態を

極限にまで求め

 体の徹底したリラックス状態をつくりこむことである

おおうおおうにして二元論的な事象のバランスが悪い場合

その解決は バランスを保とうと平衡

 つまり 

釣り合うことにばかり腐心しても うまくいかない

まず どちらか一方を徹底的にかたよらせることをおこない

その後、一方がある極点まで到達すると 自然反動として

反対側への作用がスムーズに開始される

これによって 美しい平衡状態となっていく

その自然の摂理を利用するのである

つまり

まず 副交感神経の優位な状態を

極限にまで求める

これが 自律神経失調症に対応する

整体施術の基本のひとつである

そこで 前述の、

 1
自律神経のうち
副交感神経の優位な状態を
徹底的に実現し
まず体の完全な弛緩の状態をつくる

つまり
筋肉を徹底的に
ゆるめる 

となる

体の弛緩の状態とは

何よりも筋肉がゆるんでいなければ全身的に弛緩できない

いわゆるコリをとるのである

自律神経失調となっているほぼすべての人といっていいが

体の共通する或るエリアの強い筋肉硬直を示している

それはどこかというと

後頭部から首全体をとおり背中にいたる

頚椎1番~7番 そして胸椎1番~4番のエリアで

これらのいずれかの部位が

強い硬直をていしているのが特徴である

まずこれらの部位を集中的に施術する

よって これら部位のある程度の弛緩を見た場合

身体全体のリラックスの端緒となるのである

次に

 2
延髄からでる
迷走神経の動きを活性させるため
迷走神経の支配する
臓器をリラックスさせることにより
逆に延髄から視床下部への刺激をおこなう

つまり
臓器への
刺激と弛緩 

これは

副交感神経の代表である迷走神経が支配する臓器に刺激と弛緩を与え

こうした臓器をリラックスさせ

副交感神経の優位な状態を安定的につくりだそうとする意図である

では具体的にどんな臓器なのか 以下に記す

 

 
咽頭部
 
気管支
 
食道

 肺
 

 
肝臓

 腎臓

これらの臓器への刺激と弛緩は かなりな快感をうみながら

深い全身的な弛緩を生む

たとえば 耳かきがその恰好な例である

胃も肝臓も腎臓も

たくみに手を当てられ温感を察知するだけで

強いリラっクスを生む

胃も肝臓も腎臓も肋骨の防御からははずれているので

刺激は容易にほどこされる

また 食道に料理が流れる時の至福は 

一日何度も経験しているはずである

これらは 副交感神経の作用でこのようになる

つまり整体施術では これを作為的にくりかえすのである

また

 4
仙骨からでる
骨盤内臓神経を活性化させるため

下腹部および骨盤内器官をリラックスさせ
仙骨の可動性を高める
仙骨と骨盤
を徹底して
ゆるめる

については 副交感神経の支配下にある

主に大腸のS字結腸と直腸の弛緩と刺激をねらい

それを仙骨と骨盤をゆるめることによって

実現をはかるものである


自律神経失調とは

 交感神経と副交感神経の切り替えが

不徹底で曖昧で不明瞭な状態であり

リラックスしているようでリラックスしていない

たとえば仕事や家事のなかで

明確な目標や到達点があいまいで

それらにまっしぐらに集中できない状態

あるいは 自分に不利なものや いやなことから逃れるために

猛烈に逃走する姿勢と意気込みがない

こうした状態がくりかえされ定着していることが

自律神経失調をうみだす温床である

つまり

不徹底などっちつかずのリラックス

あいまいな目標意識と緊張状態の欠如 

あるいはその過剰

自分に不利なものへの回避と逃走の防衛本能の希薄

あるいはゆきすぎた防衛本能

こうした生活が自律神経失調症の源泉。

したがって ここから脱出するには

徹底した副交感神経が優位な状態をまず体で体現し

それを日常的に自在に実現できる体質をつくる

という方針である




いったん

徹底したリラックスをとれる体質を獲得すれば

つぎには 自然と ある種の余裕をもって

闘争と緊張と攻撃と逃走

という交感神経優位の動物的本能を楽しむことができるようになりやすい


これによって自律神経を支配する間脳の視床下部に

本来の安定したリズムをかなでる調律を復調させる役目を

になってもらう



初めての赤ちゃん育ては 戦い


近年 整体 MIKUNI 三国 名古屋にとみにふえてきている来院者に

初めてのお子さんを生んだお母さんたちがいる


育児でダメージをうけた

 腰・肩・腕・腰・指 の痛みで悲鳴をあげながらやってくる

もちろん かつても

 この様に最初の子供の育児で これらを痛める例は多かったが

むかしはその比率 今の比率より ずっと少なかった

それが

平素より日常的に重い物を上げ下げしなくなったゆえはいうまでもないが

さらに 個々の症例を追究していくと

この傾向にはさまざまな問題点が伏在しており 

その対策と解決をはかる中で

身体改造についての 思いがけない視点が浮上してきて興味深い

ただし その渦中にあって苦しむお母さんたちは深刻で

生む前には 思ってもみなかったつらさで

毎日の忙しさの中で どう解決したらいいか途方に暮れている事が多く

どこに助けを求めたらいいのやら と。



タイトルの 子育ては戦いである は

男親女親ともの 肉体的にも精神的にもいえることだろうが

ここでは お母さんの側に立った肉体的な観点にしぼって

その戦いを切り抜ける 解決の手立てを紹介したい

戦いの第一は まくらをたかくしてねむれない事である

じっさい 夜泣きの強い子であれば 母親の睡眠は最悪の状態となる

ヒトは 睡眠不足になると まず体が硬直しやすく

とくに 背中の胸椎の2番~4番に強い硬直を生む

これが 肩こりと背中痛のはじまりとなる

一般的にみて

育児とは関係なく いわゆる睡眠障害のヒトの背中のこれらの部位を触ると

十中八九 ひどくこりかたまっている

こうした場合

 まくらをこころもちやや高めにして
寝入ると すんなり入眠できるが

赤ちゃんをかかえるお母さんは

 ぐっすり寝入れば赤ちゃんの時ならぬ要請に即座に答えれないため

たかいまくらではねむれない

こうした状態を克服する 一つの方法が

先にのべた背中の胸椎の2番~4番の緊張をといて ゆるめることである

この部位の硬さがほぐれ柔軟になると

少々の短時間睡眠、とぎれとぎれの睡眠でも 

のりこえられやすい体質ができる

なぜなら

これらの部位は 硬直すると良質な呼吸ができなくなり

 浅く乱れた呼吸となり 交感神経優位の状態が解けず

リラックスできない 体質となっているからである

世の中には かなりな短時間の睡眠で平気なひとがいるが

そんなひとのほとんどが この部位がきわめて柔軟であるはずである

こンな時のの整体施術は

本来ならば まずうつ伏せの状態からはじまるが

出産後は 横向きの姿勢から開始し

はじめに肩甲骨の可動域を拡張し それによって 

肩甲骨と胸椎を連結している筋肉群を懐柔するのである

すでにこの段階で 育児にくたくたになっていたお母さんは

ひさしぶりのてばなしの解放をえるはずである

その後の施術のあれこれは省略し

ここで どうしても 整体 MIKUNI 三国 名古屋に

足をはこべれないお母さんに 自力でやる整体をお教えしよう

この胸椎2番3番4番は背中にある為 自分でやるには至難の部位である

そこで 上向きに寝て 自分の指でもって

鎖骨の下を走る 鎖骨下筋という筋肉をグッと強めにおしてみよう

これで 背中側の胸椎2番3番4番が かならずにゆるむ

つまり 胸の前から胸の中に向かっておこなうのである

なれてきて 的確なポイントをつかめるようになり圧力が自在になれば

背中全体に えもいわれぬ気持ちよさがおしよせてくる

呼吸は深くなり地獄から天国に浮上する様な爽快感にみたされるはずである

睡眠の不足でなやんでいるお母さんに吉報となるであろう

さて あまりの睡魔から

赤ちゃんと添い寝しながら変な姿勢でねこんでしまう事もままあるに違いない


そんな時 ややもすると

肩が動かなくなってしまったり 腕にいやな痛みが出る


実際寝込んでしまった時間はごくわずかなのに

不気味なくらいいやな痛みとなるのだ

それはすでに 寝込む前からかなり深い硬直があり

最後の数分のへんな姿勢の添い寝で 捻挫を起こしてしまうのである

捻挫とは このような場合

 そのすでに前段階でたっぷりとした恒常的なコリが存在しており 

その恒常的なコリのいきついた最後の段階に

わずかなきっかけで発症することがほとんどである



赤ちゃん育ての戦いの第二は 頭の中が次にやる育児と家事だらけで充満し

その心因ストレスで 首と肩の動きをとめてしまうことである

もちろん これは いわゆる肩こりと首こりを誘発する

肩こりと首こりは 心因ストレスですぐにあらわれやすいやっかいなもの

これを放置しておくと しだいにその不快は背中におよんでくる

さらに解決をみないと つぎは腰痛がでる

下の絵を見てもらいたい
 何気ない赤ちゃんの世話のワンショットだが

 腰に支障がある場合 この姿勢だと

腰は ますます悪化する危ない姿勢なのである

では こうした場合 どのような姿勢がいいのか?

ひとつは お母さんののびた膝を曲げること

それによって腰への負担がグンと減る

さらに お母さんはもう一歩 赤ちゃんの方に体全体を踏みこんで接近し

ほぼ お母さんと赤ちゃんの距離をおかないことである

一度やってみてください

みなさんは 及び腰 という言葉をごぞんじかと思う

つまり 積極性がない取り組み方をやゆしてつかうが

 文字どうり

 対象物に対して遠く距離をおいて腕の力のみであつかおうとする場合 

腰が入ってない状態をいうが

この姿勢が 腰を痛めやすいのだ


下図のお母さんも もし腰に不安があれば この姿勢はだめである


こしがのびきっているので 腰への負担はかなり大きい

  膝をまげて少しかがむだけで腰への負荷はグンと減る


下記図の姿勢の授乳は 腰痛持ちの方は
 そのほとんどが

腰を悪化させる

どうしても やもおえない場合は 

この姿勢のまま壁などに背をもたれかけることで

腰への負担は激減するはずである



戦いの第三は 赤ちゃんの為にくりかえす

授乳 尿便処理 添い寝 抱っこ おんぶ 洗濯 等の作業で

腕と肘と手首と指 に極度の荷重がかかり

これらの部位に痛みを発症させ その痛みとの戦いである

かなりリラックスし余裕がある中で これらの作業がされる環境であれば

こうした部位に痛みは出にくいが

こうした一連の作業に余裕をもっておこなえるお母さんはすくなく

こうした作業におわれ なおかつ肩と首に強い硬直がでているひとは

かなりの確率で

こうした部位のいずれかに かならず痛みがでる

本来 肩首にコリがなく 柔軟な場合 腕と肘と手首と指にかかる負荷は

それほど大きくなく 体幹や肩や首で吸収されるのであるが

肩首が硬い場合は その負荷が

腕と肘と手首と指に極度にかかり 

さらに体幹から手がのばされるその長さにたいして

物理的な負荷が増幅されて 腕と肘と手首と指を直撃するのである

これが 痛みの原因となる

 つまり結果的にこれら部位の酷使となるのである

こうした身体メカニズムは なにも育児するお母さんだけでなく

しつこい 腕や肘や手首や指の慢性痛に悩む人の共通するもので

本来 肩や首や体幹への負荷となる力が ここで吸収されず

もろに腕や肘や手首や指のいずれかに 直撃し痛みをだすのである

本来 腕や肘や手首や指の機能はパワーをだすところではなく

それを伝達する役目と パワーの方向を自在にする役目をになうもので

パワーは 基本は体幹でだすものなのである

したがって

くりかえされる 授乳 尿便処理 添い寝 抱っこ おんぶ 洗濯を

腕や肘や手首や指に負荷がかからないやり方で 

合理的な身体の動きをおぼえることが この戦いをのりこえる秘訣である

当然

平素より日常の中で 重いものを上げ下げしていた むかしのお母さんたちは

筋力があったのもたしかだろうが 

それにくわえて

無理のない体の動きを平素の家事労働のなかで習得していたにちがいない

つまり

こうした腕や肘や手首や指に負荷がかかるやり方を 

小手先の仕事とよんで ふなれな体のさばき方として軽蔑したのである

とつぜん

体幹でパワーをだす といっても とほうにくれるかもしれないが

たとえば 包丁で料理を作るとき 包丁さばきを軽快にするひとは

かならず 腕から指にかけては そんなに力がはいっていない

この部位に力がぬけている人ほど さばきはうまいし疲れない

これにたいして なれないと 腕から先をりきんでしまう

つまり 包丁さばきの上手下手は 

体幹を使ってさばいているのかどうかによる

これが 体幹でパワーをだす ということある

じつは この原理 あらゆるスポーツにいえることで

スポーツのパワー伝達と疲れない身体動作の原理は

この体幹で出すパワーを いかに末端まで増幅させながら伝えていくか につきる

末端まで増幅させ かつ 疲れを残さないためには

末端 つまり小手先の部分で力を出そうとすると逆効果になってしまう

さて ここまでこれば

腕や肘や手首や指に痛みに痛みがでるメカニズムが腑に落ちると思う

腕や肘や手首や指をいためている お母さん

小手先に力が入りすぎている今の体の使い方を変えてみる工夫が

大切なことがわかるはずです




さて 最新のさらに傾向として

整体 MIKUNI 三国 名古屋に来院が増えているのが

こうした若いお母さんの育児に手を貸して自分の体を痛めてしまう

 若いお母さんのそのお母さん群である

つまり赤ちゃんからいえば祖母になる方々で

訴えは若いお母さんたちと同一である

育児にはかつて昔の経験で手馴れているものの

年月をへだてて再度はじめた育児は体に重い負担となって押し寄せる

それで整体 MIKUNI 三国 名古屋の待合と施術室は

赤ちゃんと若いお母さんとそのお母さんの三人でにぎやかになる事が多い


 背中の痛みの この多彩なるもの
 
いわゆる 背中痛である。

肩こりや腰痛とくらべ 患者数はややすくないが

これに長年にわったて苦しんでいる人はすくなくない



ただし 背中といっても かなり広範な面積をしめるので

いわゆる 肩こりも腰痛も 背中痛と明瞭に区分できない場合も多く

背中痛の病態も多彩である

もともと 背中そのものが脊柱がその中央をがっちりと縦走し

生命を維持の根幹をなす体幹の裏面が背中であるので

背中の異常はからだ全体の異常を誘発しやすく

また 体の異常は背中の脊柱にあらわれやすい

もって 整体はその施術の初動に 脊柱の触診からはいるのが常道とされる

そうした意味からいって 背中には

その人の特徴的な身体全体の暗示と明示がいりまじり

背中の様子をみて まず整体家は全容を把握するようにつとめるのである

背中痛も 腰痛も 肩コリも 頭痛も 内臓の異常も

かならず背中になんらかの反応が出現する

元来が背中はかような位置をしめるのであって

たんに背中は 哀愁をあらわす感情表現の場だけでなく

身体状態の全体を凝縮して表現される場といっていい


背中の痛みにかぎらず あらゆる痛みは複雑であり

複合的な要因のからみあいで痛みを感じることも多く

その痛みのゆえんをつきとめることは熟練をようするのであるが

背中の場合 特徴的なことは

すでに述べたように 脊柱があること 体幹の中心で内臓があること

これによって 痛みのサインが思わぬ重大な徴候だったりすることである。


ちろん その痛みが かなり重症な場合は

すでに内科などの検査が終わっていることが多く

内科的所見からは異常が判明せず

その結果 次の手段として 整体の道をさぐるという例が多い

じっさい その比率からいって 背中痛の大半が 

内科的見地からは異常がみいだせない筋骨格系の疾患といえる

ある資料の 初期段階で医者に診療を求める背中痛原因の診断結果によると

背中痛を訴える97%が こうした筋骨格系の疾患 という

では 筋骨格系の疾患 とは具体的に何をさすのか

下の図を見てもらいたい

以下が筋骨格系の疾患といわれるものの内訳表

 1 筋肉のコリ 及 捻挫 70
 2 加齢による骨の変形 10
 3 椎間板ヘルニア 4
 4 骨粗しょう症骨折 4
 5 脊柱管狭窄症 3
 6 脊柱すべり症 2
 7 先天性脊柱の変形 1
 8 骨折 1
 9 その他 2  %

これによれば 圧倒的に 1の筋肉のコリ 及 捻挫が多い。

いわゆる 筋肉痛やねじったりして出る捻挫のことで

ハリや硬直ともよばれる。ほぼこれが70%をしめている。

以下2~9 項目あるが これらがすべて 筋骨格系の疾患とよばれる。

整体はこれらのすべてが施術の対象となり 整体のもっとも得意とする分野である。

これ以外で

急性の背中の激痛や 経験したことのないような異常な痛みの場合は

 内臓の疾患がうたがわれることもあるので 注意が必要である

もちろん 軽い胃の不調や 肝臓の機能低下など

ごく短時間の整体の施術で たちどころに軽快となる場合も少なくないが

ここで

 整体の前に内科の受診をした方がよいとおもわれる背中痛の例を挙げてみよう

よくあるのが

なかには医者ぎらいで 医者に行くよりまず整体へという方も多いので

そんな方はぜひ 参考にしてほしい

内科への検診を検討すべき症状

激痛により 冷汗を発し 苦悶が強烈である

大きな呼吸で背中痛がはげしい

背中の痛みで夜間がねむれない

強い胸痛があり 背部痛とあわせてあること

原因不明の体重減少があること

不明の発熱があること

 


こうした場合 考えられる可能性は

 心血管
狭心痛
大動脈瘤疾患
 腎臓
尿管結石
腎盂炎症
 消化管
急性膵炎
急性胆のう炎
 骨盤内の臓器
前立腺炎
子宮内膜症

などの疾患である。

さらに確率は低いが 脊髄そのもの腫瘍に類する疾患の可能性もあるので

背中痛と同時に しつこく強い腹部痛及び下肢全体の痛みなど併合する場合は

慎重を期し 整体施術が適切かどうかを判断しなければならない


さて ここまで問題なくクリアされたら ようやく整体の出番である

背中とは

つまり見方を変えれば 体幹の事なので
 それは骨格と筋肉と内臓の集積である

背中痛の多彩であるゆえんは まさにここにある


なかなか背中痛がなおらないあなた

もういちど徹底的にその根源がどこにあるかたしかめるべきである

しつこい背中痛でよくあるのが

骨格と筋肉と内臓の複合的な疾患である

たとえば


肝臓に機能異常がある場合 背中の右側に背中痛が出る

具体的には

胸椎6番~12番の右側に鈍い痛み、刺すような痛みなどが出現する

下図の赤い○で表示したポイントである


これは 本来肝臓の現場で発症している痛みがまずあるのであるが

それ以外に関連痛といって 肝臓以外のポイントにも痛みがでる

なぜかというと

 そもそも肝臓の痛みを感知する交感神経が 胸椎6番~12番の脊髄にあるが

この場所には

胸椎6番~12番が支配している皮膚の知覚線維も入っており、

そこから 脳が痛みの取り違えが起こって、

肝臓の痛みが皮膚からの痛みであるかのように脳が感知する所から来る


つまり 肝臓に障害があると

胸椎6番~12番が支配している皮膚領域が痛む可能性がある。

具体的にその皮膚領域とは

右の背中から背中の中心部にかけてである。


なぜ 右側かというと 肝臓が中心に対して右側に存在するからである。

私の経験からいうと

胸椎6番~8番の右側が 患者がうつ伏せの状態でみると

若干の隆起がみられ さわると硬いかたまりを確認できる

これを圧すと 患者は腹部前面にいやな圧迫を感知する

さらに

肝臓の炎症が横隔膜にまで広がると炎症によって

頚椎の3番~5番が支配している皮膚領域に関連痛が生じる

具体的にいうと右の首根っこから肩にかけてのポイントである。

背中痛が

こうした諸症状を示すとき つまり肝臓の障害を疑うのである。

内臓機能の障害と筋骨格系の疾患の複合症状とみなし

こうした場合 整体施術は

内臓機能の障害と筋骨格系の疾患の双方を回復する手法をとる


舌も整体の領域です

ちかごろ 妙に舌がもつれて

しゃべりにくかったり 食べ物がかみにくい という経験はありませんか


もちろん そのもつれの程度があまりにも深刻であるならば

すでにあなたは 脳卒中ではないかと心配し脳外科の診断をおえているのかもしれませんが

そうした脳卒中ではないと診断されて

なお舌がもつれて違和感があるなら

舌がねじれていたり 硬直していたり と、口腔 
こうくう に問題があることが多いのです


舌も 一つの筋肉です

それもヒトの生命を根幹的に維持する極めて重要な筋肉のひとつなのです

舌は その動きがあまりに軽妙すぎて変幻自在すぎて

かえってその重要さにきずかない筋肉のひとつです

実際 舌がなくなれば 呼吸も食物をのみこむことも支障をきたし

生命の根幹をゆるがします

さらに言葉の発声にも深く関与するので 生活の質を大きく左右します

こうした重要な役目をになう舌は 実は疲労がたまればくたびれる筋肉なのです

舌のように その形も位置も自在に快速で動く筋肉はそんなにありません

呼吸 会話 咀嚼 味覚判断 と 絶えず活躍しています

ご承知かと思いますが

筋肉の種類は大きく分けると 2種にわかれます

ひとつは 自分の意志では動かない自律的に動く筋肉で 

内臓の多くがこの筋肉でできています

その運動性は緩慢でのろいのですが

どれだけ動いても疲れを知りません

そのかわり 外からの力では鍛えることができないのです

今一つは 骨格筋といい 随意に動かすことのできる筋肉です

これは 瞬発力がありパワーを一気に意志をもって出せるのです

しかし疲労がたまるので適宜の休息を与えないと維持できないのです

つまりメインテナンスのいる筋肉で 舌はつまりこれにあたります 

舌もメインテナンスが必要です

舌は口腔内にあるので 内臓筋と錯覚しますが 実はそうではないのです

したがって 舌は疲れると 硬直し ねじれ コリがでるのです

これで 舌も整体家がその対象とするゆえんが 納得できるとおもいます

ただ 舌は 口腔内にとじこめられているので その施術は少し特殊です

もう一つ 舌について重要なことは 歯との関連においてです

舌は口腔内を自在に動き回るのですが

歯に障害があって 痛みや歯の形状不良や義歯の不調などで

口腔内を自由に動き回れなくなってくると

舌は途端に退化し委縮してしまうのです

したがって 歯の状態がどうなっているのかを歯科にて検診の必要があります



では 実際、舌の整体はどう臨床の現場でされるのか

もちろん 舌を直接触れて その整体施術をすることもありますが

舌のもつれが重篤 
じゅうとく でなく軽微な場合は

ほとんどが舌を触ることなく また口腔内に侵入することなく

外に現れた 肩・頸・顎・頬・耳たぶ周囲 等の施術のみで軽快になることが多いのです

また 頭蓋骨や骨盤の調整だけで回復することもあります


整体 M I K U N I で 舌が回復しなめらかになると

毎朝 舌を鏡で見るのが楽しいひと時となるはずです

じつに 舌はけなげな活動をしているのですから

顔の非対称に整体は どう取り組むのか 

たとえば

もし あなたがある朝 鏡を見て突然に顔のゆがみに気付いたのであれば

そうしたゆがみは整体で 回復しやすいゆがみといえます


 
もちろん 顔のゆがみ 左右非対称の原因は様々なのですが

突然に気付いたという経緯からみて ほぼ十中八九は筋肉の問題と断定できるからで

骨格そのものの変形ではないからです

 

とはいっても

今までに無い 顔のゆがみに突然きずいた時は かなりおどろいてしまいますねぇ

顔ですから、ショックは大きいものがあります

たとえ 筋肉の問題だから整体で回復しやすいといっても

実は 顔の非対称の問題は少々複雑な要素を背後にひかえているのが通常で、

他の身体の部位の場合とおもむきが大きく違って 少し特異な点があるのです

それは こうした顔の非対称を形成したその結果は筋肉の問題なのですが

そのそもそもの原因は 顔の筋肉から出発するのではないということなのです

では どこに根本の原因があるのか?

それは 大きく分けると 次の5つとなります


1  口の中、歯並び
2  肩と首とあごの筋肉の異常
3  心理的、精神的な不安定
4  眼の疾患あるいは慢性疲労
  顔面神経の麻痺

これらの 4つの要素が微妙に混在しながら その結果 

顔の中のある特定の筋肉を酷使させ 顔のゆがみを形成するということです

結果的には 顔の中の筋肉を酷使することになるのですが

それは結果であって 原因ではないのです

ですから これらの根本原因とおもわれる問題点を同時に解決する方向にかじ取りをしないと

顔のゆがみは一気に解決しにくいのです

もちろん これらの根本原因が解決されなくても 

ゆがみは 時に 刹那にあっという間に治ったりするのですが

根本の原因が存在している限り また戻りやすいのです

しかしながら

たとえそれが一時な回復にしろ

回復するということは 本人に大きな希望となります

一時的にしろ回復したという事実は 回復しようとする強い意識と意志を生み出し

治癒への大きなステップとなるのです


こうした顔のゆがみの少々複雑な要素のため

整体的処置のみでは根本の解決が図れない場合があるのです

顔のゆがみは、複雑系です

顔は他の身体の部位とちがって あまり荷重がかからないため

力学的な筋肉と骨格への負荷荷重が極めてすくないのが特徴です

ところが そもそも 顔の筋肉が心理の微妙なヒダと陰影を表現できる

繊細な能力をもっている為に

ささいな心理的な圧迫を頻繁に顔の筋肉に与えていると

顔を変形させてしまう要因になるということです

それは 力学的な負荷ではなく 神経的な或いは精神的な負荷といっていいでしょう

これが 心理的・精神的な不安定が顔に影響を与える要因です

さらに 顔には 口と眼があります

このふたつの器官が顔に与える影響はきわめて大きいのです

口はその中でかむときにかかる圧力は強いものがあり

その口の中の圧力の均衡がくずれて時間がたつと

顔に影響がでてくるわけです

歯ぐきや口の中の空間構造により顔自体には力がかかりにくいのですが

それでも時間が長いと顔に影響がでてくるわけです


眼の問題も 大きく顔の筋肉に影響を与えます

眼の蓄積した疲れは 容易に顔を変形させ放置するとゆがみを生みます

それは 顔の筋肉は痛みや不快に対して鋭敏なのはもちろんですが

とりわけ 眼にかかわる痛みや不快は鋭敏にできており

これらが慢性化すると顔をゆがめる原因となるわけです

さらに 顔面神経の麻痺が根深い場合 ついには顔のゆがみを生んでしまうことがあります

こうした ゆがみの背後にかくれている根源の問題を追い詰めていかないと

ゆがみと非対称の一掃が困難なのが実際です


こうした 顔のゆがみの特異性を十二分に理解して 整体の門をくぐると

整体の最も有効な活用となるはずです


最後に 顔の非対称ですが もともとヒトの顔は微妙な非対称を持っているのが通常で

ささいな非対称をあまりに追求しすぎるとノイローゼの道を走ることになりかねません

では 正常な非対称と異常な非対称の区別のしかたなのですが

それは 鏡をみながら 自分の指で気になる部位又その周囲の部位をじっくり

さっわって おして ねじこんだりして 筋肉の状態を確かめてください

左右の差がほとんどなければ正常で

左右の差が明らかであれば修正の必要があるとおもわれます


  整体の究極は 腰痛と肩こりをなおすこと
 
もちろん 整体 MIKUNI の施術を求める人々の主訴は
千姿万態 せんしばんたい さまざまな苦悩がもたらされるのだが
その根源にある病巣を追求していくと
いきつくところは あいかわらず腰痛と肩こりにつきあたる。
ヒトの歴史は 腰痛と肩こりの悩みに方策のつかめない嘆きで
ずっとかさねられてきた。

 

こうした ヒトの死に至るほどの重篤でないが
それでも日常の生活上その運動能力のいちじるしい制限となる
腰痛と肩こりの解決の実りある方策は
たんに西洋医学的なアプローチだけでなく
実証的で実践的で即物的臨床施術といっていい いわゆる民間医療の分野でも
みのり多い成果をあげてきたのであるが
こうした民間医療の百家繚乱の出現が
腰痛もち 肩こりで積年の苦悩を経験した人々に
自らの力と理解で これらを克服しようとする機運をうんできた
その悩める人々の希求は深い。
整体は こうした自力で克服しようとする希求の深さに呼応し
正面から向き合う。
これこそが 整体の進むべき王道といっていいのかもしれない。


2012年、
自分のからだは自らが守り 自らが最小の費用で治すという
動物本来が自己防衛する鉄則があらためてみなおされてきた今
整体に付与される期待は、ますます増大するばかりである。
整体の究極は 結局は、
腰痛と肩こりを的確に治すこと あるいは これらを回避する身体所作を提示できること
に集約されてくると あらためて実感するものである。
ことばをかえていえば
腰痛と肩こりを どう処置するのかで整体の方向が決定されるといえるわけで
整体家は 腰痛と肩こりを回避する あるいは即刻の解決する方策を
ひとりひとりに いつでも開示しなければならない。
その意味で

人類の代表的な疾患未満の疾患となってしまった 腰痛と肩こりを
機にいどみ変化に応じて手がたく 解決できるかどうかが 
まずは整体家の力量をはかる決め手になる。

ひんぱんに起こるしつこい頭痛も
眼の奥の不気味な痛みも
永年の背中痛も
猫背も
O脚も
膝の痛みも
全身のどうしようもない鉛のようなダルサも
まず 腰と肩を適正な位置と状態に戻さないと 歩を進めれないのが身体の原理である。

明白であるが
すべての腰痛と肩こりに実効があるといえる整体のテクニックはなく
その症状と患者の実態に 最も適したテクニックが何かを探り出す能力と意欲が
整体のレベルと奥行きを決定する。
したがって 腰痛と肩こりの解決に 執念を燃やして研鑽と研究に余念がない毎日を
送っているのが 整体家。
絶えず 西洋医学と生理学が切り開いていく身体のなぞの解明の成果を援用し
試行錯誤の整体手法を独自に編み出していくその執念こそが
古色蒼然とする伝統の整体に 斬新でしたたる新鮮な治癒への活路がひらかれる。

それまで 痛みで身動きができなかった腰や肩が 軽快な整体家の手にかかり
痛みが引き潮のようにひいていくのを目の当たりにして 
その洗練に生つばをのみこむこととなるのであるが
それを途方もない秘術的なものとみるのか、
人間の身体の奥深さに魅入られる入り口になるかは、その人しだい。
いずれにしろ
どんな腰痛も肩こりに対してもも ゆるぎない自信をみなぎらせる整体家の姿は
整体の到達したひとつの完熟である。
それは つまりテクニックの完熟ではなく 身体の解釈の完熟というのが正確であろう。

ところがである、
実際は 手馴れた熟達した整体家も あまりに楽天的にかまえていると
ひどい落とし穴に 落ちいってしまうことがある
つまり 一人一人の身体状況を画一的に捉えようとすると つまずきやすい。
自分の編み出したテクニックと技法の過信は 
時に 穴があれば入り込みたい失態をまねくこともある。
それは どこからくるかというと 腰痛にしろ 肩こりにしろ その実態は
一人一人の個性が違うように 実は微妙に相違しているという特性からきている。
とどのつまりは 『腰痛と肩こり』 という病態で解決をはかるのではなく
このひとの 腰痛・肩こり』 という捕らえ方をしなければならないということである。

腰痛そのものが その分類を仔細にみるとうんざりするほど実は多岐にわたり
さらには 腰痛に伏在する疾患の有無の可能性を常にさぐらねばならず
深謀遠慮の果てに 施術方針を決定する。

たとえば 腰痛の代表的な症状である 仙腸関節の炎症による疼痛 でも 
そのよってきたる元凶が 
股関節に異常がありくるものなのか 中殿筋・小殿筋に異常がありくるものなのか
で 治療アプローチに違いが出てくる
また その時 胸椎の周囲 特に起立筋群の緊張状態の如何によっても
施術シナリオの重点と進行順序が違ってくるのが通常である。
そもそも 仙腸関節には さまざまな靭帯が取り巻いているのであって
どの靭帯に異常がみられるのか 判断はむつかしい。

整体とは 結局 
全身体的な観点から患部を追い込んでゆく形態をとるのが特徴的であるので
全身体的な観点と主訴部位との関連性を洞察しなければならず
主訴だけにこだわると 時に 陸にあがった河童になりかねない。
文字どうり 水上にあらわれた氷山の一角の水面下にある根源を視野にいれないと
主訴である氷山の一角も追い込めないことも充分ある。
触診と問診と視診を手際よく進行し 
打てば響くレベルに短時間で到達させ 電光石火の早業で施術シナリオを組み立てると
後は 施術しながら 必要に応じて軌道修正をはかり施術は進む。
最初は 幹だと断定した部位が実は 末枝であり 
末枝だと予想した部位が幹だったりする事は 茶飯事である。
そうした意味では 整体施術のながれはドラマ。

ひどい痛みや苦悩にさいなまれた整体 MIKUNI の門をくぐる患者は
おぼれるものはワラをもつかもうとするが
実際に ワラだけをあたえることしかできなければ おぼれてしまう。

さて こうした 整体 MIKUNI は
名古屋整体界にあって独特であろうと勤めてきた訳ではないが
名古屋 覚王山の地で 披瀝してきた整体技法の数々は いくたの福音をもたらしてきた。
 さらに風雪に耐え抜ける整体技法の洗練につとめ
名古屋 覚王山の地にて 身体機能の本来のもつの醍醐味を味わってもらいたいと
祈るばかりである。

名古屋で 最も住みたい街のひとつにあげられる 名古屋 覚王山、
街は静かなたたずまいを見せているが 
さらに一歩 生活の中に入り込むと 身体の不快や不調や痛みの悲鳴で街はみちており
それでも 名古屋 覚王山が Buddhism に色濃くおおわれているためか
えもいわれぬやさしい香気で 街はおしなべてやさしげ。
2012年も
整体家の一挙一動に積年の修練の凝縮を 名古屋 覚王山で みせることになるのだが
無尽蔵の整体技法で 腰痛と肩こりの根絶に徹頭徹尾とりくみたい、
氷山をとかすように。
 なぜ おなかが出てくると 腰痛がおきやすいのか

おぼろげにも 腰に問題のある人は納得しているのが
おなかがでれば それだけ腰への負担が増えていくことで
医者も おなかの周りの大きい腰痛もちの人に
口をすっぱくして やせろとか腹筋をすすめるらしい


たしかに 減量して おなかまわりがしまってこれば
腰への負担は軽減することはまちがいないのであるが
腹筋トレーニングは 専門家に細部にわたっての指導がなければ
逆効果で かえって腰を痛めてしまうので 腹筋トレーニングの詳細は
整体 MIKUNI に来院してからにしてほしいところである

さて問題は、おなかまわりである。

下のイラストをみてほしい、 
 
 腰椎にかかる体重を図形化したもので

は 通常体型の体重
L1は 体重の中心から腰椎までの距離
この場合 
腰椎にかかる負荷は

x L1   となる。

ところが 肥満型の場合に腰椎にかかる負荷は

+W x L2 =    となり Fの値はちがってくる。

肥満型の場合のFは
単に体重の増加の部分だけでなく
その距離が加重されるので
負荷はかなり増加し
腰椎への加重を考えなければならない

これが おなかが出てくると腰痛がおきやすい
メカニズムである

もちろん おなかの出た人で腰痛の皆無の人もいて
それは
 腰椎の周りの筋肉群などが
体重を受けて分散できる仕組みがあり
それらの筋肉群が柔軟性を保持し
肥満部の加重を吸収できれば 腰椎への負荷も
分散されるので 疼痛はおきない。

こんなわけで 肥満部位をどうひきしめるのかは腰痛克服のひとつのポイントのため
整体 MIKUNI では 腰痛で当面の痛みが解決すれば
次に 肥満の解消やポッコリ腹の改善に
移行し 身体の全体の改善あるいはケアにと目標を変更していくことが多い。

肩コリ解消の ポイントは肩甲骨です

 
みなさんは 日ごろ肩甲骨・けんこうこつ の動きを意識することがあるだろうか?


骨盤の動きの意識は 特に女性の場合 かなり意識に上るようになってきた
それというのも 骨盤の動きが 身体全体におよぼす影響の深刻さに目覚めてきたからで
さらに 骨盤の中には 重要な臓器が内包するからで
鋭敏になった意識は 必ず身体の動きを鋭敏にする。

これに対して 肩甲骨となると 骨盤ほどの働きの重要度がなく
かなり忘却されている人が多いと思われる
とりわけ 文明が電気化・電子化の傾向が進むほど
肩甲骨の存在が遠のいてしまう。
遠のくとは結局 使われず退化することにつながるが
まさに 肩甲骨は文明の器具が進捗するばするほど
日常の身体の動きでは 使われなくなり
ただ 運動やスポーツのときにのみ発動され
その運動能力の低下に 気ずくことになる。

たとえば パソコン&携帯電話、
その操作は ほとんど 手首~指先だけの動きでまかなえてしまう。
パソコンは 時に腕の動きも伴うが
肩甲骨の動きは もちろん ほとんどといってない。
これに対して 
まだパソコンがなかった時代の情報収集の為の身体の動きを想起してみよう
図書を棚の上から取る その時 手を頭上より高く伸ばすこの時 肩甲骨は動く。
新聞を両手を伸ばし大きく観音開きに見開いて読む時
肩甲骨は脊柱に微妙に寄り添い 腕を維持する。
読み終えた 雑誌や新聞を紐で結び ゴミ収集にだす。

たとえば 電気掃除機や車の自動洗車機、
電気掃除機は ほぼヒジ下の動きだけですんでしまう。
これに対して
かつては 雑巾がけというものが必須であった。
とくに廊下を拭くとき 頭より高い位置の部位を拭く時
肩甲骨は大活躍する。
車を自分の手で洗う時も 肩甲骨を動かさないとしっかり洗えないはずである。

こうして見ていくと この肩甲骨を動かしていた日常の所作が失われていく枚挙はいとまがない

年末のモチつき
マキ割り
井戸からつるべで水をくむ
神棚の掃除をする
子供をしつけのため 腕をふりおろし頭をたたく
旅行の時 宅急便を利用せず 重いカバンや荷物を自分で運ぶ
漬物石を持つ
庭木の剪定などをする
すぐ切れるLEDでない電球をかえる
手をあげて横断歩道をわたる
などなど

解剖図を一度みてもらうとわかるが 肩甲骨を中心にその筋肉群は
首、背中、腕、肩、わき腹 へと四方八方につらなることがわかる
つまり 肩甲骨とは 腕をふくめた 上半身の動きの中心となっていることが
解剖図をじっくりみていると 腑に落ちてくる。

かつて 人類がまだ二本足で歩行する以前は もちろん肩甲骨は
豊富な運動量で 体全体を動かす大きな推進力となっていたと思われ
肩甲骨の能力の差が すなわち運動能力の差となっていたに違いない。
それは いまの人間のスポーツ選手の動きから
類推できて
とくに 腕を使い 上半身のひねりやねじれでパワーを出す
スポーツ選手の動きを仔細に観察すると判然とする。
したがって スポーツ選手は 肩甲骨周りをいかに柔軟にするかを命題として訓練する
ひるがえって言えば スポーツをある程度やらず 日常の動きだけに埋没すると
肩甲骨はつまり退化する宿命にある
退化するとどうなるかというと 完全に退化してしまえば
問題ないが 退化の中途ではそれにつらなる部位に支障がでてくる。
それが ひとつは 肩コリであり首コリであり背中痛である。
身体の文明史的にいえば そうなる。
特にに 今後ますます電子化が進み 視力と指先のみで世の中をわたっていく事が広がれば
肩甲骨退化は一層の拍車がかかるにちがいない
すでに その傾向は 整体 MIKUNI に来院する 10代 20代の若者たちに顕著で
肩コリ・首こり・背中痛を訴える 若者の肩甲骨 とくに
脇下の肩甲骨から腕に至る部位は硬化して 岩の様相を一様に呈している
それは筋肉というより 血行の止められた岩のかたまりである。
もちろん それは 施術により回復するのであるが
放置すれば どのような行く末になるかはあきらかである。

実は この肩甲骨と背中 具体的には 背骨の中の胸椎1番から12番までが
自分の手で 自分のものを触りにくく
実際の感触を実感できなく
ただ 他人のそれらを触り 状態を確認できるのであり
このことからしても
肩甲骨と背中の疾患が 自分で治療するのに難易度が高いことがわかる。

こうした 肩甲骨を柔軟にするのが 整体 MIKUNI の独特な 『
肩甲骨回転』 にある
つまり 肩甲骨を リズミカルに 時に破調し 回転するだけなのだが
その秘訣は
施術者が 肩甲骨にまとわり付く筋肉群の詳細を頭に入れながら
どの筋肉に刺激するかを 刻々ときざみながら回転させることで
それが 患者からすると微妙な奥深さに連れてこられた気がして
巧緻をきわめた深遠さを感じる
終わってみれば 今まで眠っていた五臓六腑に にわかに生気がよみがえることとなる


また その無類の気持ちよさは 時に患者の抱腹絶倒をさそう。
それは 唐突にやってくる体感だからなのだが・・・・
なんだコレ!!!

かように 現代人の肩甲骨は拘束されている。
肩コリに悩んでいる方々、
かならず 肩甲骨がほぐれれば 一時的な 糠喜び・
ぬかよろこび とはならない。
文字どうり 晴天のへきれき となる。


慢性疲労症候群 という現代病
 
 


体の全体をおおい 長い時間にわたり極度の疲労がねばりつくように居すわる
体の全体がよどんだ疲労のかたまりのような自覚症状となり
何をするにも おっくうになり 活力が枯渇した感覚となる
病院でどんなに検査をくりかえしても 悪いところは指摘されない
軽い動作や作業で 重度の疲労感にさいなまれる
こうした一群の症状を 慢性疲労症候群 と命名したのは 1988年のアメリカである。
英文では 略して 
CFS  という。

本人はむやみにダルク 一見して このシンドロームに悩む人と判別できる。

整体的に そのヴィジュアル特徴をのべれば、
表情に精気が消えうせ 眼球の動きは緩慢で
唇の両端はさがっている
肩は落ちて 胸筋がちぢこまり 猫背である
イスに座る姿は 骨盤で上半身がささえきれずあやうい


整 体  M I K U N I に来院し これを主訴とする人が多い症状のひとつである。
重篤になると たちあがれなく 生きる気力を喪失してしまう。
 
ひとむかし前は なまけもの と軽蔑された一群の人々も
今では しっかりとした病名をもらって すこし肩身は広くなった。
ただし
 臨床的な推察から言って 
この慢性疲労症候群におちいったひとのほとんどが 働き者できまじめである傾向。
生来のなまけものは この慢性疲労症候群には もともとこうむらないので
結局は あまり 大きな顔はできないだろう。

これが 何を意味するかというと
 つまり 本来がなまけものであるから 疲労感を呼ぶのでなく
働きすぎて あるいは活動しすぎて 結果 疲労がぬけず排出解毒されない
つまり 過活動のはてに疲労が蓄積してしまうのが
慢性疲労症候群であり
したがって 整体の治療としては この疲労物質と疲労感を排出消去すること。

慢性疲労症候群は  西洋医学では原因を解明できていない症状のひとつであるが
整体では
この症候群の共通した症状である 筋肉の疼痛やシビレや不如意があることから
まず 
筋肉の疾患に着目し 筋肉にたまった疲労を消去する所から着手する。
とりわけ 背部と太もも裏の筋肉群に鬱積停留する疲労物質は
いったん解消すると 全身の倦怠感がサッと深い霧が晴れるようになくなり
爽快な感覚を生む。
次に 内臓の活性に努め 老廃物を押し出す働きの中心である腎臓・肝臓・腸を
集中的に施術し 体の内側から疲労物質を退去させる。
次に 皮膚刺激で 完結とする。

 

この慢性疲労症候群の特徴は すこぶる心理的な要素も強いので
心理的に どうリラックスできる状態を作り出せるかも大きな決め手になるのだが
この方面は
実は ひとそれぞれ相違があるので
まったくの手さぐりで対処するのが実情。
こうした点が この症候群をややこしくしている。

では なぜ 慢性疲労症候群を現代病というのか?
まず 現代病のひとつの定義は
高度に発明された文化的器具・工具により生活動作のシステムが変わり出やすい病といえる
つまり 運動量の減少によりひきおこされやすい病が現代病。

整体的には 慢性疲労症候群の原因のひとつを
日常生活における身体の運動の圧倒的な不足とみる
つまり 疲労物質の鬱積停留は運動不足によって惹起されるとみるのである。

これが
 慢性疲労症候群を現代病という理由である。


 
名古屋 整体 事情


名古屋の整体を すんかをみつけて あそこやここと 実際に受けてまわっているのは
かなり楽しい。
では 名古屋の整体は どんな特徴があるのだろうか?
名古屋は 東京や大阪や札幌や京都や長崎とくらべて きわだったものがあるのだろうか?
こんな都市ごとの 整体の逐一をおもいめぐらすのも
醍醐味のひとつである。
とくに 整体とは 身体のかくれた機微をつく練磨を披瀝するものなので
整体家のよってきたるところにおもいをめぐらすのも
おもしろい。

さて
 名古屋である。

名古屋人は 保守的であるというのが ずっと定説であった。
蓄財にひいでた あるいは貯蓄好き というのも名古屋人を指し巷間に喧伝された
いずれも 名古屋人のある一面をつたえることにはちがいないが
 本筋とは距離をおく逸話と解釈しておけばいい。



ただし こと整体に関して言えば 
こうした逸話も象徴的に名古屋をとらえているかもしれない。

つまり 突出した 挑戦的な 実験的な 革新的な 伝統を解体する
整体が 人口比率からいって少なく
比較的 「おとなしい」整体が多い。

「おとなしい」 とは 施術のスタイルがソフトで無痛を標榜している事をいうのでなく
整体家の個性が前面に表現されてこないことを指し
言葉をかえて言えば
整体家とか 整体師とかの呼称が似合わない整体 といえるかもしれない。

その意味では やはり 名古屋の整体は
 おしなべて保守的といってもいいのかもしれない。

そもそもが 名古屋では 「整体師」はまだしも 
整体家の呼称が定着していない。


もともとが 整体というものがもつ 本来のあいまいさが
整体が整体を打ち破りながら 脱皮していく困難さをようしていて
整体家を名乗るには
独自な見解と 独特な技法を論理においても臨床においてもしめさねばならず
容易なことではなく 旺盛な探究心と 数多い臨床経験が裏打ちされていないと
物笑いとなってしまう あやうさが整体にはあって
整体家の呼称の定着をさまたげているのだろう。
もちろん整体家を名乗るには
その背後に 百千の屈辱 
ももちのくつじょく があるのが普通で
おいそれと自称できないが・・・・・


整体というと 一般的には ポキポキと骨格矯正の打音をならすことだと
思い込んでいる人も かなりいて
整体というだけで 眉に立て筋を示す人も多い。
もちろん それも整体技法のひとつなのだが
骨格矯正の痛快な打音を小気味よく響かせるのが 整体の最終点ではない。

では 整体の最終点とは何なのか?
一言で要約すれば それは
各部位の症状や現象を 総身体的な観点から解釈することで
その解釈こそが 整体なのであり 整体家のめざすものである。

こうした 整体の最終点に向かって
名古屋にて
突出した 挑戦的な 実験的な 革新的な 伝統を解体する 整体家の出現を期待したい。
名古屋に 新しい整体家がおどりでてくる時機は熟している といってもいい。

なぜなら

その好機のひとつに 高齢化に向かい 100歳まで歩行できる体をつくる機運があること。
つまり 高齢になっても元気に歩行できる体つくりを
早くから準備することに目覚め始めた階層があることで
こうした体つくりに 整体の見地は最も適した回答がだせるはずである。
文字どうり 
100年の大計 たいけい で体つくりをする時代になったのである。

今後 必ずや 医療費の保険控除は変動し 医療費の支払高騰となり
コレを先取りする形で 病院に頼らない体をどう作るかが課題になってくる。

もちろん こうした機運は 名古屋のみならず 日本中の大きな潮流なのだが
名古屋の街は
適度な都市化の街並み、
喧騒と静寂の程よい比率、
車で移動しやすい交通事情、
買い物がしやすい生活圏の保持、
都会と山里の隣接
などなど すこぶる高齢者が自力で住みやすい環境となっている。
こうした 条件がととのっている名古屋の街は
よく観察すると
長寿で なおかつ自力で歩行できる体つくりにかける執念が町中に満ちている。
名古屋は そういう都市である。

高齢につれて
 それまでは思いもよらない体の変化に毎日が一喜一憂の連続の日々をおくることになる。
時に 意気消沈し 時に 安堵し ささいな心理の葛藤の連続
 みずからの一挙一動に 鋭敏になっていくのが齢をかさねるということなのだ。

その 体の変化への鋭敏こそが
つまりは 体の改造という大計 たいけいに突入する入り口となる。



実際、整 体  M I K U N I  に 
来院する高齢の方は ひとたび当面の痛みや不調や不快が山を越すと
爽快になった 新しい朝に 身体の改造に取り組もうという意欲がわきあがり
その後 体を作り直そうとする執念がうまれ
しだいに すさましい創意工夫で体を鍛錬しはじめる。
実にこうした 徹底した身体管理と 身体改造への強烈な意欲は
 整体家をゆすぶるものがある。

とりわけ
 整 体  M I K U N I の根拠地のある 名古屋 覚王山は
根っからの地元で生き抜いてきた 生粋の名古屋人が集中しており
順風満帆な人生を送り かたや 厳しい風雪に耐えぬき と
さまざまな経験をへてきた高齢の方も多く
健在の方は さらに健在に 不調のある方は必死にそれを克服しようとする姿は
鮮烈である。

老化したからだを蘇生させる秘術は 整体的見地の中に横溢している。
それらを たくみに取り入れ さらにみがきをかけ
一刻も早く
突出した
 挑戦的な 実験的な 革新的な 伝統を解体する整体家が
 きら星のごとく 名古屋の整体界におどりでてほしいものである。


関節の痛みに 整体はどう立ち向かうのか?



  整体家を泣かせるひとつが 関節の痛みの治療で とくに変形性関節症と呼ばれるものである。



変形性関節症とは 人が年齢が加わることが主原因で関節が変形し

痛みなどが発症することで

単なる 膝の使いすぎという単純な原因ではなく

年齢の問題プラス身体の使い方の複合した要因があるので

治療方針を決定するに慎重をきす。



関節といっても 数あるが

膝と股関節がその中でも 一番やっかいなものである。

なぜ やっかいかというと この膝と股関節は絶えず相当な体重がかかり

重力負荷に対しては もっとも過酷な重圧がかかっており

静養と運動の兼ね合いがむつかしく

痛みがあるからといって 動かずにいるとさらに退化し自然治癒から遠のき

無理して動きだしその加減をあやまると痛くて耐え切れず

どうしてよいかわからず 結局途方にくれることが多いのだ。

こうした変形性関節症の本質をつきつめると 

つまりは関節内部の軟骨の変性と喪失と回復にあるといえる。

つまりは 年齢とともに軟骨の体積が減少し

水分が低下し

軟骨強度が低下し

繰り返しの軟骨の刺激に弱くなってしまう。

こうして軟骨の形状もパワーも変質する こらが変形性関節症である。

軟骨の厚みは薄い。わずか 1mmから5mmで

膝の軟骨は 5mmである。

こうした状態が 軟骨に起こるとその影響は 

じょじょに外側に波及していく

外側とは、

滑膜 関節包であり これらが炎症をおこし また肥大して変形する。

これを変形性関節症という。

であるから 変形性関節症の発症順序としては まず軟骨が変形し

次に滑膜 関節包が変形する。

下の図を見てほしい、 膝を例にして 左が正常 右が変形した状態。



整体は この状態にどういう考えにたって治療するのかというと

基本は 軟骨・滑膜・関節包の修復と回復である。

滑膜と関節包は 以外と修復されやすい それというのも

滑膜と関節包は 血管が豊富に存在し 

血液が修復のにない手となり修復に存分に働く。

したがって 整体技法により 骨膜と関節包に新鮮な血液をおくりこむ。

問題は 軟骨である。

それは ヒトの関節軟骨修復能力は 非常に乏しい

というのが永年にわたる医学の常識であった。

が 2007年頃からだろうか いわゆる関節鏡のテクノロジィの進歩によって

関節軟骨の欠損の自然経過を追及していくことが可能になり

結果 微弱ながらも 関節軟骨の自力修復能力があきらかになってきたのだ。

ただし 軟骨自体は神経も血管も存在しなく 

軟骨細胞への栄養供給は滑膜につつまれた関節液に依存していることには

変化ないため

いかにくずれた滑膜と関節包をたてなおし 

軟骨への栄養基地としての能力を高めてやるかにかかっているといえるだろう。

つまり 軟骨を制すために 滑膜と関節包なのである。

次に 視野をもっと広くし 下肢全体からの取り組みをする。

筋肉のリハビリと重心アライメントの修正により

膝の異常な負荷を是正し

下肢を軽快にする。

筋肉のリハビリは もちろん筋肉繊維を強化し筋力をアップすることもひとつなのだが

筋肉の柔軟性も同時に高めていかないと

短時間で筋力のアップに直結しない。

であるから 筋力アップのトレの前には まず筋肉の柔軟性の回復を行う。

さて 重心アライメントの回復であるが

このフィールドが 整体が最も整体らしく活躍できる場所であり

整体的な見地での重心アライメント修復は 

単に下肢のみの 局限したアライメントではなく 全身的である。

それは 肩甲骨を開放し 脊柱をストレートにし 

骨盤を正常なポジションに回復し

仙骨を自由にし 股関節の硬直をただし しかる後 下肢全体の矯正にうつる。

これらの一連の基本的な手続きをへて それぞれの関節の痛みの軽減に向かう。

 
ふたたび、『関節の軟骨はよみがえる』 について
 

関節の痛みに立ち向かう整体家にとって

関節軟骨の自然修復再生のメカニズムを施術に取り入れることは

ことのほか重要である。

すぐれた演奏家はたえず名器を欲し続けるが

同様に 整体家も向上心があれば 

あらゆる医学の最新の成果を身につけたいという

欲求につきうごかされている。


関節の軟骨の自然修復再生については 

2012年現在、やっとそれが可能であることが証明された段階であり

実は 今だ不明な点が多く

軟骨修復の過程が病理学的に明らかにされている例が少なく

よって これを援用し 徒手的な治療として確立する根拠に弱さがあるのが現状である。

つまり

関節の軟骨の自然修復再生を 整体家の手によって
 
実現する論理性が確立されていないといえる。

こうした中にあって 関節の軟骨の自然修復再生を考えるに

注目すべき 医学研究をみつけた。

2010年7月30日の金沢大学医学部の学会誌によれば、

60匹のラットに 膝軟骨の損傷を与え 関節の軟骨の自然修復再生を追跡し

よって 軟骨の自然修復再生のある性格を推論しようとする試みである。

ある性格とは何かというと

軟骨修復の差異が 軟骨にかかる荷重部と非荷重で明瞭である、

つまり 荷重が適度にかかった方が 軟骨修復が良好ということである。

なぜ荷重がかかった方が良好かというと

そもそも関節軟骨は 血管とリンパ管を欠いている為 

その栄養は関節液の軟骨内への拡散に依存しており

この拡散には

関節運動と関節への間欠的な荷重による軟骨の圧縮と復元が必要である。

つまり この関節運動で軟骨組織の栄養状態は向上し

軟骨細胞の代謝は亢進する。

また これにより一般細胞から軟骨細胞への分化が促進される。

本学会誌の論文は

適度な荷重が関節の軟骨の自然修復再生を促進することをのべたのであるが

ひるがえれば

人間の関節の軟骨の自然修復再生にも

この原理を援用し 適度な荷重を施術によりあたえることで

修復につなげる根拠となる。

適度な荷重をどう実現するのかは 整体家の独創を待つこととなる。

それは 力学的な直接の負荷となるか、

温度による荷重となるか、

微妙な振動となるか、

はたまた 間接的な婉曲の荷重となるか、

考えられる手技は 際限がない。


美容整体名古屋の波 



美しいからだ-Bodyへのあこがれの世界史の中における完成は

はるか ギリシャの彫刻にさかのぼるのであるが

その優雅なからだ-Bodyの造型の熟成度は

現在においても 美しいからだ-Bodyの追求をしていくとき

かならず参考となる美学の起源となる


かつて みなさんにも子供のころ学校の美術室かどこかで

ギリシャの彫刻の断片でも最初に目にした時の感動を経験した事はないだろうか

窓の外は枯葉うずもれる中学の校庭、

にしびがギリシャ彫刻の裸体像にてらされ 白い石肌がセピアに変わり

夢のような体のプロポーションに圧倒されたようなことが・・


では なぜギリシャ彫刻がこれほど魅了されるのか

 ギリシャ彫刻のBodyの特徴を深く掘り下げていってみよう

まず

それは 単に視覚的に美しい・きれいだけではなく

そこに人体の機能までを想起させる健康美があるからだといえる

実際 ギリシャ彫刻を前にすると

その内臓も皮膚も健康で生き生きとした はつらつな息吹であふれ

その拍動まで聞こえてきそうになる

そのリアリズムは

つまりは 彫刻をみることによって健康的な美しさにあこがれさせるメッセージ

と解釈したくなるほど

言葉をかえていえば ギリシャ彫刻の美しさは 

そこにからだの機能を想定させる 動的な象徴としての美しさといえる

機能的な人体の動きを象徴的に表現しようとする美しさである

それを健康美といっていいかもしれない

それは 婦人像でも 男性像でも同様で

人体の微妙な動き しぐさ 運動する筋肉や骨格の動きのリアリズムを

美しく表現している


 ここで 別の視点からギリシャにおける健康美を考えてみると

健康美をつきつめると ギリシャにおいては

 つまりそれは運動能力の追求にあるといっていい

どの時代でも同様に

ギリシャにおいても 実は たえずポリス間の戦争がおこっており

そのため 戦えるからだつくりをもとめられた

もちろん戦争は どの時代でもあったことであり 

為に 戦えるからだつくりはいつの時代でも求められることなのだが

ギリシャの特異性は そのからだつくりを視覚的 つまりヴィジュアルと融合させたことにある

すなわち 戦うためだけのからだつくりではなく

そこに美しいからだ自体を求める機運を醸成することにより

戦える美しいからだを日常的に希求する波をつくりだしたのである

ここに ギリシャ文明の特異性と奥深さがある


さらに極めつけは

こうした 戦える美しいからだを日常的に希求する波をつくりだす 仕掛けのひとつとして

それを運動競技というスタイルで徹底させ健康美の追求を娯楽と融合させたことだ

つまり オリンピックの創造である

古代ギリシャ オリュンピアで神殿の元ではじまった運動競技大会は

すなわち究極の健康美追求の大イベントであり 

あるひとつのテーマに人を統一させる巧みな大衆運動である

こうした 娯楽と実利と美学がみごとに融合し開花したのが

古代オリンピック


後年こうした発明をたくみに利用しようとして 狂ったように一時期大成功をおさめたのが

アドルフ ヒットラ である こちらは 最後は文字どうり狂ってしまったが


 つまり からだ-Body の運動能力及び機能を最も発揮できる象徴として

ギリシャ彫刻がある

それを 今一度まとめてみると

ギリシャ彫刻とは

    戦争 健康 美しいからだ 運動 オリンピック  

の 要素が凝縮して彫刻になった 美しい機能的なからだの象徴といえる


整体M I K U N I がやる美容整体は どういう整体ですか? 

とよく質問があるので その返答のかわりに 

ギリシャを引き合いにだし 理解の参考のひとつにするのも

こうした理由による

整体の王道に加え 新しい部門として美容整体を名古屋ではじめるにあたり

整体M I K U N I の美容整体の特徴を詳報し

美容整体名古屋の新しい潮流のおこる機運としたい

美容整体名古屋のなかで整体M I K U N I が

 新しい美容整体がどういうものかを説明する前に

ギリシャをとりあげたのは

まさに 古代ギリシャ人の考えた身体のとらえ方と整体M I K U N I の美容整体と

共通するものがあるからにほかなく

美容整体名古屋の新しい潮流として

 ある種ギリシャ的身体論を入れ込むという意図がある

わかりやすくいえば

整体M I K U N I の美容整体 とは

先ほど列記したギリシャ彫刻の要素 つまり

戦争 健康 美しいからだ 運動 オリンピック 

を ほぼ踏襲しながら

現代の日本の状況にあわせた身体つくりの要素におきかえて



毎日戦えるからだ
 
機能の回復

美しいからだ

動作の軽快

個性的な身体・差別化する身体
 

を目的とする 美容整体といえる

その詳細を記してみよう

毎日戦うために美容整体というのも奇異に聞こえるかもしれない

が たとえばビジネスの世界でそれをかんがえてみると

すでに ビジネスの苛烈な競争の世界を経験しその洗礼をうけた人ならピンとくるように

ビジネスとは つまるところ その成否を決定するのは

人をいかに説得できるか 人をとりこにできるか 人に魅力をあたえれるか

にかかっているからで

そのためには 手持ちの現存の資源からあらゆるものを総動員させ

これらの作業にのぞむ

このとき それらの作業の大きな手助けとなるのが

うつくしい言葉使い うつくしい挙措ふるまい うつくしい容姿 うつくしい声

うつくしい衣装 そして ・・・・うつくしいからだ

ここに毎日戦うための M I K U N I の美容整体が登場してくる

こうした事情は ことビジネスにかぎらない

家庭内でも 夫婦間でも 一般の人間関係においても

毎日戦えるうつくしいからだの提示は 融和と協調の大きな目に見えがたい要素である

では 毎日戦えるうつくしいからだ とは  いったいどんなからだなのか



疲労しにくい代謝の高いからだ

外気の気温や湿度に影響されにくいからだ

疲労が蓄積しにくいからだ

少ないエネルギィで大きなパワーがでるからだ

重心のアライメントが正常にはしり 無駄な負荷がかかりにくいからだ

ゆがみやねじれのないからだ

軽快な動作をいつでもできる体勢のあるからだ

その人の個性が反映するからだ


これらが 整体的にいう 毎日戦えるうつくしいからだの内実である

整体M I K U N I の美容整体とは つまり

美容整体名古屋の新しい潮流 として こうしたからだつくりをすること

とくに M I K U N I の美容整体は名古屋にあって

顔のゆがみ、肩甲骨、骨盤、股関節、足首 のキイポイントとなる部位にたいして

徹底的に執拗に独自な施術をおこない

体全体の造型を回復し 軽快な動作ふるまいのできるからだをつくり

ひいては その人の個性にもっと適した美しいからだをつくろうとするもの


毎日戦えるからだ  
 機能の回復  
 美しいからだ  
 動作の軽快  
 個性的な身体
差別化する身体
 

具体的には

整体M I K U N I のおこなう美容整体の対象は


ゆがみ

猫背

O脚

ポッコリ腹

中心喪失



の5つになる


ゆがみ    
 猫背  
 O脚    
ポッコリ腹    
 中心喪失  


中心喪失とは 体全体の重心ライン 又はアライメントがくずれて

ヴィジュアル的にも 自覚症状的にも 中心感覚がうしなわれ

体全体がバラバラになっている状態をさし

そのまま放置すると おそかれはやかれ 数々の不具合があらわれる

こうした場合 個々の部位をいじっても うつくしいからだはよみがえることはない

文字どうり 整体的な知見を総動員して回復するべきものである


さて こうして 美容整体名古屋の新しい潮流が根づくのはいつになるだろうか


 
 
『名古屋』 を 整体的に観る



名古屋の都市を 整体的に観ることによって

整体とは 何なのかを考えるよすがとしてみよう。



名古屋が都市の体をなすのは

家康が天下を掌握した後からの時点からで

この時期から今まで ひとえに名古屋の中心は名古屋城となっている。

もちろん 政治から経済からすべてにわたって

名古屋城が文字どうりの中心で都市機能を維持した江戸時代と

象徴的な意味でしかなくなった現在とでは

その求心力は全くちがうのであるが

都市景観からいって

名古屋城はやはり都市の中心といえる存在感と奥行きをもっている。

名古屋市庁も 城の隣で市旗をひるがえしているのは

権威と力量のみなぎりを感じさせ

圧巻である。

おしいのは 城の北側に大きな隣接する公園があり

市民の楽しめる空間があってよいが

城の南側をそうした市民が集まれる空間が全く無く

すぐに道路にさえぎられてしまっているのは

街の余裕の無さと味気なさを感じさせ

残念でならない。

これは

名古屋城の象徴性を十二分にいかしきれていないだけでなく

名古屋城から南方向にのびてゆく名古屋の街の性格を

悲しく特徴づけてしまっている。

つまり

本来 名古屋城から南の熱田神宮に向かい

街つくりが行われて

太い動線が名古屋城から南の海にむかって描かれていたものが

その出はじめから盛り上がりの欠如した動線になってしまっていいることで

名古屋城が完全に南に伸びてゆく街の動線の中に組み込まれず

景観上の遺跡にとどまってしまっている。

もし 名古屋城の南に市民の憩いの大きな空間が存在すれば

名古屋城は 街の中に有機的にツナガリと連携が生まれ

名古屋城の意味合いがもっと輝くものになっていたに違いない。

お城が街と寸断されてしまっているのだ。

その意味では

名古屋城を中心とした名古屋の都市計画は

片手落ちである。

言葉を変えていえば

 現在の機能的な都市構造と歴史的景観がうまく融合されておらず

豊かな歴史性がうずもれてしまって 時間の熟成を感じさせない都市に転落している。 

もちろん 仔細にみれば 

どこかしこ歴史を感じさせる町並み景観はひっそりと保存されているのであるが

残念ながらあくまでもそれは 残滓であり都市の構造の一環となっているわけではなく

都市を構成する要因とはなってはいない。

整体的にいえば

構造をなす要因でなく 末枝としてかすかな余韻としての味わいとなっているに過ぎない。

もちろん こうした問題はひとえに名古屋だけにとどまらず

 いずれの歴史ある都市がなべて 直面する問題であるが

名古屋の場合の特殊性は

明治以降の発展が工業に重きを置いた特性を帯び推進されたことで

名古屋の街の随所に近代工場の痕跡がみいだされる。

したがって明瞭になることは

明治以降の工業を中心とした街つくりと 江戸期の尾張藩における歴史的町並みとの

融合がされてこなかったということで

これこそが 実利の追求を優先しすぎてしまった名古屋の街の滋味の淡白なゆえんである。

整体的にいえば

身体の歴史的特性

 つまりはその人特有の生きてきた性格的なものが必ず身体に反映されており

その個々の身体にあらわれたる固有の特性を理解しないと

整体施術の方針が決定できない。

つまり その時点での身体的症状が どんな歴史の上に成り立っているのかの洞察が必要で、

そうした視点が希薄な場合 施術の奥行きに濃厚がまさない。

では 身体の歴史的特性が具体的にどこにあらわれるかというと

それは からだのうごかしかたのクセとなってあらわれる。

そうしたクセの集積が 身体の歴史的特性となってくる。

それを個性といえるであろうか。

名古屋の都市を工業としてスタートさせるのは ほぼ 1900年の頃とみていい。

つまり 日露戦争の頃で この戦争を境に名古屋市内に続々と工場が建設される。

たとえば 1903年における 名古屋の工業生産額ベースでの内容は


  第1位が 綿糸

  第2位が 味噌 しょうゆ たまり 酢 

  第3位が 織物類

  第4位が 陶磁器


となっている。

その後 日露戦争が終結するや 軽工業から重工業の発展が名古屋を包み込む。

重工業が発展するとともに 海上物流の必要性にせまられ 

名古屋港が工業港としての開港となっていくのである。

名古屋港はそれまでは 熱田湾と呼ばれていたが

その熱田湾の工業港としての改修一期工事は 1896年であり

名古屋港としての近代港湾としてのスタートは 1908年のことである。

この名古屋港の近代港湾としての開港が その後の名古屋の性格を決定する。


もともとは江戸時代

名古屋は城からまっすぐ南にのびて熱田神宮の横の海につながる

南北の太い動線が町のメインストリートとなっており

併行してその西側を南北に流れる堀川が物資運搬の中心となっていた。

現在では熱田神宮から南は広大な土地が埋めたたてられ工業地帯となっているが

昔は これらの地域は海の中であった。

今後 大地震がおそった場合 熱田神宮より南は海に埋没するゆえんである。

整体的にこうした地理を観た場合、

かつて 名古屋城と海とを強固に結ぶ南北の太い動線は喪失し

ひたすら工業の為に 海の間際に工業エリアを創設し

海と名古屋の中心を結ぶ文化的つながりを放棄してしまったといえる。

つまり 工業の発展の為に南の海との文化的景観と動線を犠牲にしたといえる。

これが何を意味するのかというと

港湾都市の場合

 たえず街中と海とは排出と吸収の相互依存の関係にあるのだが、

名古屋の場合 その相互依存の関係を工業の分野を優先してしまった為

文化的な排出と吸収の相互依存をなくしてしまったと 言い換えれる。

その意味で 文化的に名古屋は魅力の薄い都市に墜落したといえる。

ただ 工業も文化の一翼という視点に立てば

工業都市名古屋の価値もあるが

かぐわしい匂いたつ港湾都市とはいえない。

したがって 名古屋の海にのびる南の方角は実利をめざす方角といえる。

これが 名古屋の都市を決定的に性格つける事となっている。

これを整体的に名古屋の南方を観ると

街の中心から海に向かうにしたがってなぜか緊張をしいられることになり

本来 海に向かうにしたがってヒトはリラックスしてくるのとは

少々違った様相になり

精神的なやすらぎとは異質の ある実利的な方向に意識はかたより

南方は緊張を高める方角と位置つけられる。


さて 次に名古屋城の北を観てみよう。

名古屋の北限は庄内川と矢田川で区切られるのであるが

そもそも この川の存在そのものが

実は 名古屋の北方を頼りなげな空間にしてしまっている。

どういうことかというと

都市造りの基本は 北に山ないしは丘陵を配置されていなくてはならない。

もちろん これは中国を発祥とする風水の考え方であるので

この風水思想を重きを置かないとすれば又別の考え方もあるのであるが

風水を持ち出すまでも無く

都市構造の中心をなす建造物の背景、すなわち北側の空間に

山ないしは丘陵が存在しなく

平面的な空間しかない場合

じつに落ち着きの無い危うさを感じるのだ。

それは さながら もろい背骨をもったヒトのようにたよりなげである。

いうまでもなく 北に山ないしは丘陵を配すべきという思想は

中心から南の方角に街をつくる考え方の上に立つもので

背景となる北側に高い防御する地形を配し

都市内部の冨を北に流れるのをふせぎつつ、北からの厄の進入を防ぐ意味がある。

そうした観点からいって

名古屋の北方をながれる 二つの河川は

名古屋の集積した文物や冨を 容易に流失してしまう象徴となってしまう。

こうした意味で 名古屋を整体的にいうと、

バックボーンに頼りなさに欠ける名古屋はあやうく はかなげである。

実際 名古屋の都市としての近代化の途上から 

その発展の波に取り残されてきたのが 名古屋城の北の地区である。

現在 名古屋城の北から庄内川の間の地区は

住宅地となっているのであるが

実際 その平面的に凡庸と広がる住宅地を歩くと

そこには ひとにぎりの都市造型の意志も感じられなく

ただ いたずらな住宅地が広がるだけで

都市の北を構成させようとする気迫はない。


次に名古屋の西をみてみると

 その西限は北から流れてくる庄内川であり この庄内川が名古屋の北と西を区切る。

この庄内川を背景に 名古屋城の西に鉄道の名古屋駅が位置する。

この名古屋駅が西側にできたことにより名古屋の都市形態は一変 することになる。

つまり外地からの名古屋への出入り口は かの地となり

西が 名古屋の都市入場の入り口となったのである。

じつは このことが

それ以後の名古屋の都市構造が変化していく大きな意味をもつことなる。

この鉄道の名古屋駅ができるまでの 名古屋の入り口は

東海道 今の国道1号線をとおる名古屋の南方であった。

つまり 熱田神宮が名古屋の入り口であった。

もともと 南北の太い動線でつらぬかれていた名古屋の街は

その動線上の末端が 名古屋の玄関となっていたのである。

そして

鉄道の名古屋駅が新しい玄関口となることによって

この南北の動線がくずれ 西から東の新しい動線ができる出発となった。

これが 現在の名古屋の都市の骨格をつくる契機となったのである。

つまり 名古屋駅から東へと発展していく流れ。

地勢的にみて

 東の方面に丘陵があり森林があり緑地が広がり高台があるのが

名古屋の住宅地として発展するに格好であり 人口増加を受け入れる素地となった。

こうした意味で

東の開発と発展が名古屋に精神的なゆとりと奥行きを付与したといえる。

ただここで問題になるのが 名古屋駅の西側の一帯であり

いわゆる駅裏という名のもとに 駅の東への発展とはあまりにも対照的な

位置つけになってしまいその落差がはなはだしくなった。

その差異は 陰と陽 太陽と月 といってよく

こうした差異は 本来陰影に富む街を形つくるものであるが

ざんねんながら いわゆる名古屋駅の西側一帯にその機運はすくない。

こうして 西側のあいまいな存在は 名古屋市全体の不均衡感につながる。

すべての都市には 陰と陽 太陽と月があり 陰影に富み

それがその都市の個性になるのが理想であるが この視点から

整体的に名古屋をみると 西側はその特性を放置され

理想とはほど遠い状態になっている。

それは まるで この部位だけ筋肉を使うことをせずに結果、

筋肉の萎縮により力を失ってしまったようで

切ない。


こうして 名古屋を整体的に観ようとする試みによって

整体とは一体なにをめざしているのかが明瞭になってくる。

つまり それは 一言で言うと

『動的な平衡』をめざしているのであって

動きのなかでバランスを保てるようなカラダを回復すること。

動物がすべて 動きや変転や流転のなかで あやういながらバランスを保つことで

健康を微妙に維持しているという 生物学のテーゼを『動的な平衡』といい、

整体とは まさにこの動きのなかでバランスを追求することだったことに

いきつくのである。

都市もまさに 『動的な平衡』の視点で見直すとき

都市そのものの健康を回復できるよすがとなるであろうか?


 
名古屋の医学と療法の歴史

 
名古屋の医学と療法の歴史を追究することによって

整体の名古屋の現在をさらに解明する手がかりとしてみたい。

その幕開けは

名古屋の地区が最も日本史において躍動を帯びた時代である戦国時代からとしたい所だが

戦国時代の馴染みの武将が登場する名古屋の医学と療法の歴史は

追って語るとして

まずは 江戸末期の尾張藩から幕を切って落としてみよう

その人物は、浅井国幹 あざいこっかん という。

1848年(明治維新の20年前)の生まれで、1903年(明治36年)の没。

江戸時代は尾張藩の藩医をつとめ、明治時代になると西洋医学の隆盛に対して

かなりラディカルに漢方・和医学の復興運動を展開した運動家である。

その墓石は名古屋市千種区の日蓮宗の寺院にある


激動の時代は 激動の人物を生む

明治7年 明治政府は西洋医学を国家の認証する医学と定め

それまでの 漢方・和医学を国家の認証から外すことになるのだが

これに対して 当然それまでの 漢方・和医学を信奉する者たちの復権運動が全国で興る。

こうした動きの 名古屋の活動の中心が この浅井国幹 あざいこっかん である。

明治政府の性急な西洋化は 医学の分野でも劇的におこなわれ

ヒトのからだは そんなに急転して変化する訳ではないので

治療の方針が一変すれば そこに大きな軋轢が生まれるのは当然である

その変転で

それまでの社会的地位が大きく変動し 窮状に面したのが漢方・和医学医師である

ただし 西洋の医学の優れた医術で人生を一変させる患者も多く

そうした明治政府の政策の恩恵に浴するする人々は狂喜である


政治的な政策の劇的な変化は それに喜ぶ人も それに泣く人も同時に生む宿命である


ひるがえって 1976年(昭和51年) 画期的な変化が起きた、

漢方製剤が厚生省の薬価収載され、健康保険薬として取扱われるようになったのである

その後日本では西洋医学で解決しにくい諸病を

漢方・和医学で解決しようとする機運が盛り上がり

西洋医学が逆に漢方・和医学の美点を取り入れはじめてきた事態となる。

そうしたことを考えると

明治36年 漢方・和医学の復興が果たせぬまま失意のうちに没した浅井国幹の意志は

ここで ようやく結実してきたといっていい


さて熱情の医学者、浅井国幹の活躍を追ってみよう


もともと浅井家は 尾張藩の藩医として数代にわたり主導的な立場にあった家系で

浅井家は自邸内に尾張医学館と称する私塾を設立し 

尾張藩のために医師養成をはかった。

その敷地は521坪。

 尾張藩もこの浅井家の私塾である尾張医学館の運営に力をいれ、

ここにて尾張藩の医師の資格試験を年二回行っていたといわれる。

その尾張医学館の跡は名古屋市の中区錦にある

もちろん 浅井家の医学は西洋ではなく 漢方・和医学である事は言うまでもない

こうした家系で育成された国幹は年少よりその才気にあふれ

慶応2年(1866年)18歳にて浅井家第7代の藩医となるのである



その4年後、明治2年廃藩により尾張藩が廃せられる。

これによって 人生の変転が始まった国幹は結局

明治9年 名古屋の園井町にて在野の医業を開始、

医業のかたわら 漢方・和医学の復興の運動を展開していく。

すでに 明治7年には西洋医学が国家の認証医学となり

漢方・和医学の社会的地位は変動の時期に入っている

こうした流れに浅井国幹は立ち向かうのである

まずは時の愛知県知事の安場保和に対し漢医継続の意見書を呈するが 功なく、

次に 名古屋を中心とした漢方医を300名を統合し

明治12年2月、浅井国幹が名古屋に愛知博愛社を結成

名古屋に私立博愛病院を設立する

ここに

その後に全国的な流れとなる漢方存続運動の火蓋を切り、

翌年県の許可を得て愛知専門皇漢医学校を設立した

その活動舞台は 名古屋にとどまらず東京をはじめ全国に及び

ときにげきをとばし演説し遊説行脚し 明治政府への嘆願運動を推進

名古屋~東京~京都~熊本 と全国を飛び回り 国会議会闘争も果敢に行い

八面六臂の活躍を続ける

しかしながらその国幹の20余年にわたる東奔西走も

ことごとく成果をみず 雄図はやぶれてしまう

こうして 漢医存続運動の推進に万策つき 失意のうちに郷里名古屋にもどり

浅井家歴代の千種にある墓地にて 

墓石に向かい ひれ伏して読み上げた血涙の文章が残っている

その文章を 『告墓文』 とし 今に残る

明治36年 国幹没。

さりとて その熾烈な運動はその後に大いなる影響を与え

まさに 昭和の末期まで続く漢方・和医学復興運動の端緒を作った人物といえる


ではここで 浅井家の医学の特徴を記してみよう

その基本は『黄帝内径』 (こうていだいけい) とし

『黄帝内径』のなかの 『素問』 (そもん) と『霊枢』(れいすう)を講ずる。

また

傷寒論』 (しょうかんろん)、
『黄帝八十一難経
』 (こうていはちじゅういちなんぎょう)」、
金匱要略』(きんきょうようりゃく)

などをテキストとした。

その臨床医術は後世〔ゴセイ〕派である。

その実際の臨床医術の評判や名声は残念ながら記録を探し出す事は困難であったが

その復興運動の足跡から類推するに 国幹の医師像は、

目の前の患者の病を追究する徹底した姿勢の熱血であったであろう


さて ひるがえって 整体。

もちろん 浅井国幹の頭の中には 整体はなかったにちがいない

整体の概念が流布されるのは その後の大正時代に入ってからである


なお参考までに 浅井家の歴史をさかのぼると 家系図は

戦国時代の浅井長政に行きつく説がある

1973年 織田信長によって 小谷城 (長浜市)で滅ぼされたあの浅井長政である

享年29歳、小谷城にて信長に屈服せず自害するが

この時 夫人 お市の方(信長の妹)を信長の陣営に帰還させた後に

自分のみ果てた悲話は有名である

明治時代以降 名古屋美人なる評判が全国に流布し 

名古屋に美人多しとうたわれる時期があるが

その始まりが この お市の方である

浅井国幹がみずから編述した浅井家家系図がある

「浅井家・家譜大成」という書物であり その中で述べるに、

尾張医家の浅井家の始祖を浅井盛政とし 

浅井長政の弟の正利の息子が浅井盛政であるとしている。

しかしながら 史家によれば、

浅井盛政なる人物そのものの存在が歴史的に確認されていないという。

となると国幹の書 「浅井家・家譜大成」の真偽が疑われるが

今だその疑問は解決されず 真相のほどはわからない。




整体 MIKUNI  名古屋 覚王山