整体 M I K U N Iとは こりかたまった いびつな体をとけるようにゆるめ本来の姿に蘇生する整体です 一瞬の選択が一生を決める事もあるのですから



 




 
 
 
   
   
   
   
 
 
 
 
     
     
     
  整体 トピックス  
 
    2012年の 整体 MIKUNI  
   
整体 MIKUNI が 2012年の方向をみるに
もちろん 整体 MIKUNI の施術を求める人々の主訴は
千姿万態 せんしばんたい さまざまな苦悩がもたらされるのだが
その根幹にあるものは 
腰痛と肩こりを的確に治すこと あるいは これらを回避する身体所作を提示できること
に集約されてくると あらためて実感するものである。
ことばをかえていえば
腰痛と肩こりを どう処置するのかで整体の方向が決定されるといえるわけで
2012年の整体 MIKUNI は 腰痛と肩こりを
さらに 徹底して掘り下げ 解決の道をさぐることに心血をそそぐ。



人類の代表的な疾患未満の疾患となってしまった 腰痛と肩こりを
機にいどみ変化に応じて手がたく 解決できるかどうかが 
まずは整体家の力量をはかる決め手になる。

ひんぱんに起こるしつこい頭痛も
眼の奥の不気味な痛みも
永年の背中痛も
猫背も
O脚も
膝の痛みも
全身のどうしようもない鉛のようなダルサも

まず 腰と肩を適正な位置と状態に戻さないと 歩を進めれないのが身体の原理である。

明白であるが
すべての腰痛と肩こりに実効があるといえる整体のテクニックはなく
その症状と患者の実態に 最も適したテクニックが何かを探り出す能力と意欲が
整体のレベルと奥行きを決定する。
したがって 腰痛と肩こりの解決に 執念を燃やして研鑽と研究に余念がない毎日を
送っているのが 整体家。
絶えず 西洋医学と生理学が切り開いていく身体のなぞの解明の成果を援用し
試行錯誤の整体手法を独自に編み出していくその執念こそが
古色蒼然とする伝統の整体に 斬新でしたたる新鮮な治癒への活路がひらかれる。

それまで 痛みで身動きができなかった腰や肩が 軽快な整体家の手にかかり
痛みが引き潮のようにひいていくのを目の当たりにして 
その洗練に生つばをのみこむこととなるのであるが
それを途方もない秘術的なものとみるのか、
人間の身体の奥深さに魅入られる入り口になるかは、
その人しだい。
いずれにしろ
どんな腰痛も肩こりに対してもも ゆるぎない自信をみなぎらせる整体家の姿は
整体の到達したひとつの完熟である。
それは つまりテクニックの完熟ではなく 身体の解釈の完熟というのが正確であろう。

ところがである、

実際は 手馴れた熟達した整体家も あまりに楽天的にかまえていると
ひどい落とし穴に 落ちいってしまうことがある
つまり 一人一人の身体状況を画一的に捉えようとすると つまずきやすい。
自分の編み出したテクニックと技法の過信は 
時に 穴があれば入り込みたい失態をまねくこともある。
それは どこからくるかというと 腰痛にしろ 肩こりにしろ その実態は
一人一人の個性が違うように 実は微妙に相違しているという特性からきている。
とどのつまりは 『腰痛と肩こり』 という病態で解決をはかるのではなく
このひとの 腰痛・肩こり』 という捕らえ方をしなければならないということである。

腰痛そのものが その分類を仔細にみるとうんざりするほど実は多岐にわたり
さらには 腰痛に伏在する疾患の有無の可能性を常にさぐらねばならず
深謀遠慮の果てに 施術方針を決定する。

たとえば 腰痛の代表的な症状である 仙腸関節の炎症による疼痛 でも 
そのよってきたる元凶が 
股関節に異常がありくるものなのか 中殿筋・小殿筋に異常がありくるものなのか
で 治療アプローチに違いが出てくる
また その時 胸椎の周囲 特に起立筋群の緊張状態の如何によっても
施術シナリオの重点と進行順序が違ってくるのが通常である。
そもそも 仙腸関節には さまざまな靭帯が取り巻いているのであって
どの靭帯に異常がみられるのか 判断はむつかしい。

整体とは 結局 
全身体的な観点から患部を追い込んでゆく形態をとるのが特徴的であるので
全身体的な観点と主訴部位との関連性を洞察しなければならず
主訴だけにこだわると 時に 陸にあがった河童になりかねない。
文字どうり 水上にあらわれた氷山の一角の水面下にある根源を視野にいれないと
主訴である氷山の一角も追い込めないことも充分ある。
触診と問診と視診を手際よく進行し 
打てば響くレベルに短時間で到達させ 電光石火の早業で施術シナリオを組み立てると
後は 施術しながら 必要に応じて軌道修正をはかり施術は進む。
最初は 幹だと断定した部位が実は 末枝であり 
末枝だと予想した部位が幹だったりする事は 茶飯事である。
そうした意味では 整体施術はドラマ。

ひどい痛みや苦悩にさいなまれた整体 MIKUNI の門をくぐる患者は
おぼれるものはワラをもつかもうとするが
実際に ワラだけをあたえることしかできなければ おぼれてしまう。

さて こうした 整体 MIKUNI は
名古屋整体界にあって独特であろうと勤めてきた訳ではないが
名古屋 覚王山の地で 披瀝してきた整体技法の数々は いくたの福音をもたらしてきた。
2012年も さらに風雪に耐え抜ける整体技法の洗練につとめ
名古屋 覚王山の地にて 身体機能の本来のもつの醍醐味を味わってもらいたいと
祈るばかりである。

名古屋で 最も住みたい街のひとつにあげられる 名古屋 覚王山、
街は静かなたたずまいを見せているが 
さらに一歩 生活の中に入り込むと 身体の不快や不調や痛みの悲鳴で街はみちており
それでも 名古屋 覚王山が Buddhism に色濃くおおわれているためか
えもいわれぬやさしい香気で 街はおしなべてやさしげ。

2012年も
整体家の一挙一動に積年の修練の凝縮を 名古屋 覚王山で みせることになるのだが
無尽蔵の整体技法で 腰痛と肩こりの根絶に徹頭徹尾とりくみたい、
氷山をとかすように。
 
   なぜ おなかが出てくると 腰痛がおきやすいのか  
 
おぼろげにも 腰に問題のある人は納得しているのが
おなかがでれば それだけ腰への負担が増えていくことで
医者も おなかの周りの大きい腰痛もちの人に
口をすっぱくして やせろとか腹筋をすすめるらしい


たしかに 減量して おなかまわりがしまってこれば
腰への負担は軽減することはまちがいないのであるが
腹筋トレーニングは 専門家に細部にわたっての指導がなければ
逆効果で かえって腰を痛めてしまうので 腹筋トレーニングの詳細は
整体 MIKUNI に来院してからにしてほしいところである

さて問題は、おなかまわりである。

下のイラストをみてほしい、 
 
     
   腰椎にかかる体重を図形化したもので

は 通常体型の体重
L1は 体重の中心から腰椎までの距離
この場合 
腰椎にかかる負荷は

x L1   となる。

ところが 肥満型の場合に腰椎にかかる負荷は

+W x L2 =    となり Fの値はちがってくる。

肥満型の場合のFは
単に体重の増加の部分だけでなく
その距離が加重されるので
負荷はかなり増加し
腰椎への加重を考えなければならない

これが おなかが出てくると腰痛がおきやすい
メカニズムである

もちろん おなかの出た人で腰痛の皆無の人もいて
それは
 腰椎の周りの筋肉群などが
体重を受けて分散できる仕組みがあり
それらの筋肉群が柔軟性を保持し
肥満部の加重を吸収できれば 腰椎への負荷も
分散されるので 疼痛はおきない。

こんなわけで 肥満部位をどうひきしめるのかは腰痛克服のひとつのポイントのため
整体 MIKUNI では 腰痛で当面の痛みが解決すれば
次に 肥満の解消やポッコリ腹の改善に
移行し 身体の全体の改善あるいはケアにと目標を変更していくことが多い。
 
 
肩コリ解消の ポイントは肩甲骨です
 
   
みなさんは 日ごろ肩甲骨・けんこうこつ の動きを意識することがあるだろうか?



骨盤の動きの意識は 特に女性の場合 かなり意識に上るようになってきた
それというのも 骨盤の動きが 身体全体におよぼす影響の深刻さに目覚めてきたからで
さらに 骨盤の中には 重要な臓器が内包するからで
鋭敏になった意識は 必ず身体の動きを鋭敏にする。

これに対して 肩甲骨となると 骨盤ほどの働きの重要度がなく
かなり忘却されている人が多いと思われる
とりわけ 文明が電気化・電子化の傾向が進むほど
肩甲骨の存在が遠のいてしまう。
遠のくとは結局 使われず退化することにつながるが
まさに 肩甲骨は文明の器具が進捗するばするほど
日常の身体の動きでは 使われなくなり
ただ 運動やスポーツのときにのみ発動され
その運動能力の低下に 気ずくことになる。

たとえば パソコン&携帯電話、
その操作は ほとんど 手首~指先だけの動きでまかなえてしまう。
パソコンは 時に腕の動きも伴うが
肩甲骨の動きは もちろん ほとんどといってない。
これに対して 
まだパソコンがなかった時代の情報収集の為の身体の動きを想起してみよう
図書を棚の上から取る その時 手を頭上より高く伸ばすこの時 肩甲骨は動く。
新聞を両手を伸ばし大きく観音開きに見開いて読む時
肩甲骨は脊柱に微妙に寄り添い 腕を維持する。
読み終えた 雑誌や新聞を紐で結び ゴミ収集にだす。

たとえば 電気掃除機や車の自動洗車機、
電気掃除機は ほぼヒジ下の動きだけですんでしまう。
これに対して
かつては 雑巾がけというものが必須であった。
とくに廊下を拭くとき 頭より高い位置の部位を拭く時
肩甲骨は大活躍する。
車を自分の手で洗う時も 肩甲骨を動かさないとしっかり洗えないはずである。

こうして見ていくと この肩甲骨を動かしていた日常の所作が失われていく枚挙はいとまがない

年末のモチつき
マキ割り
井戸からつるべで水をくむ
神棚の掃除をする
子供をしつけのため 腕をふりおろし頭をたたく
旅行の時 宅急便を利用せず 重いカバンや荷物を自分で運ぶ
漬物石を持つ
庭木の剪定などをする
すぐ切れるLEDでない電球をかえる
手をあげて横断歩道をわたる
などなど


解剖図を一度みてもらうとわかるが 肩甲骨を中心にその筋肉群は
首、背中、腕、肩、わき腹 へと四方八方につらなることがわかる
つまり 肩甲骨とは 腕をふくめた 上半身の動きの中心となっていることが
解剖図をじっくりみていると 腑に落ちてくる。

かつて 人類がまだ二本足で歩行する以前は もちろん肩甲骨は
豊富な運動量で 体全体を動かす大きな推進力となっていたと思われ
肩甲骨の能力の差が すなわち運動能力の差となっていたに違いない。
それは いまの人間のスポーツ選手の動きから
類推できて
とくに 腕を使い 上半身のひねりやねじれでパワーを出す
スポーツ選手の動きを仔細に観察すると判然とする。
したがって スポーツ選手は 肩甲骨周りをいかに柔軟にするかを命題として訓練する
ひるがえって言えば スポーツをある程度やらず 日常の動きだけに埋没すると
肩甲骨はつまり退化する宿命にある
退化するとどうなるかというと 完全に退化してしまえば
問題ないが 退化の中途ではそれにつらなる部位に支障がでてくる。
それが ひとつは 肩コリであり首コリであり背中痛である。
身体の文明史的にいえば そうなる。
特にに 今後ますます電子化が進み 視力と指先のみで世の中をわたっていく事が広がれば
肩甲骨退化は一層の拍車がかかるにちがいない
すでに その傾向は 整体 MIKUNI に来院する 10代 20代の若者たちに顕著で
肩コリ・首こり・背中痛を訴える 若者の肩甲骨 とくに
脇下の肩甲骨から腕に至る部位は硬化して 岩の様相を一様に呈している
それは筋肉というより 血行の止められた岩のかたまりである。
もちろん それは 施術により回復するのであるが
放置すれば どのような行く末になるかはあきらかである。

実は この肩甲骨と背中 具体的には 背骨の中の胸椎1番から12番までが
自分の手で 自分のものを触りにくく
実際の感触を実感できなく
ただ 他人のそれらを触り 状態を確認できるのであり
このことからしても
肩甲骨と背中の疾患が 自分で治療するのに難易度が高いことがわかる。

こうした 肩甲骨を柔軟にするのが 整体 MIKUNI の独特な 『
肩甲骨回転』 にある
つまり 肩甲骨を リズミカルに 時に破調し 回転するだけなのだが
その秘訣は
施術者が 肩甲骨にまとわり付く筋肉群の詳細を頭に入れながら
どの筋肉に刺激するかを 刻々ときざみながら回転させることで
それが 患者からすると微妙な奥深さに連れてこられた気がして
巧緻をきわめた深遠さを感じる
終わってみれば 今まで眠っていた五臓六腑に にわかに生気がよみがえることとなる



また その無類の気持ちよさは 時に患者の抱腹絶倒をさそう。
それは 唐突にやってくる体感だからなのだが・・・・
なんだコレ!!!

かように 現代人の肩甲骨は拘束されている。
肩コリに悩んでいる方々、
かならず 肩甲骨がほぐれれば 一時的な 糠喜び・
ぬかよろこび とはならない。
文字どうり 晴天のへきれき となる。

 
   
慢性疲労症候群 という現代病
 
   
 


体の全体をおおい 長い時間にわたり極度の疲労がねばりつくように居すわる
体の全体がよどんだ疲労のかたまりのような自覚症状となり
何をするにも おっくうになり 活力が枯渇した感覚となる
病院でどんなに検査をくりかえしても 悪いところは指摘されない
軽い動作や作業で 重度の疲労感にさいなまれる
こうした一群の症状を 慢性疲労症候群 と命名したのは 1988年のアメリカである。
英文では 略して 
CFS  という。

本人はむやみにダルク 一見して このシンドロームに悩む人と判別できる。

整体的に そのヴィジュアル特徴をのべれば、
表情に精気が消えうせ 眼球の動きは緩慢で
唇の両端はさがっている
肩は落ちて 胸筋がちぢこまり 猫背である
イスに座る姿は 骨盤で上半身がささえきれずあやうい


整 体  M I K U N I に来院し これを主訴とする人が多い症状のひとつである。
重篤になると たちあがれなく 生きる気力を喪失してしまう。
 
ひとむかし前は なまけもの と軽蔑された一群の人々も
今では しっかりとした病名をもらって すこし肩身は広くなった。
ただし
 臨床的な推察から言って 
この慢性疲労症候群におちいったひとのほとんどが 働き者できまじめである傾向。
生来のなまけものは この慢性疲労症候群には もともとこうむらないので
結局は あまり 大きな顔はできないだろう。

これが 何を意味するかというと
 つまり 本来がなまけものであるから 疲労感を呼ぶのでなく
働きすぎて あるいは活動しすぎて 結果 疲労がぬけず排出解毒されない
つまり 過活動のはてに疲労が蓄積してしまうのが
慢性疲労症候群であり
したがって 整体の治療としては この疲労物質と疲労感を排出消去すること。

慢性疲労症候群は  西洋医学では原因を解明できていない症状のひとつであるが
整体では
この症候群の共通した症状である 筋肉の疼痛やシビレや不如意があることから
まず 
筋肉の疾患に着目し 筋肉にたまった疲労を消去する所から着手する。
とりわけ 背部と太もも裏の筋肉群に鬱積停留する疲労物質は
いったん解消すると 全身の倦怠感がサッと深い霧が晴れるようになくなり
爽快な感覚を生む。
次に 内臓の活性に努め 老廃物を押し出す働きの中心である腎臓・肝臓・腸を
集中的に施術し 体の内側から疲労物質を退去させる。
次に 皮膚刺激で 完結とする。

 

この慢性疲労症候群の特徴は すこぶる心理的な要素も強いので
心理的に どうリラックスできる状態を作り出せるかも大きな決め手になるのだが
この方面は
実は ひとそれぞれ相違があるので
まったくの手さぐりで対処するのが実情。
こうした点が この症候群をややこしくしている。

では なぜ 慢性疲労症候群を現代病というのか?
まず 現代病のひとつの定義は
高度に発明された文化的器具・工具により生活動作のシステムが変わり出やすい病といえる
つまり 運動量の減少によりひきおこされやすい病が現代病。

整体的には 慢性疲労症候群の原因のひとつを
日常生活における身体の運動の圧倒的な不足とみる
つまり 疲労物質の鬱積停留は運動不足によって惹起されるとみるのである。

これが
 慢性疲労症候群を現代病という理由である。
 
 
名古屋 整体 事情
 
 
名古屋の整体を すんかをみつけて あそこやここと 実際に受けてまわっているのは
かなり楽しい。
では 名古屋の整体は どんな特徴があるのだろうか?
名古屋は 東京や大阪や札幌や京都や長崎とくらべて きわだったものがあるのだろうか?
こんな都市ごとの 整体の逐一をおもいめぐらすのも
醍醐味のひとつである。
とくに 整体とは 身体のかくれた機微をつく練磨を披瀝するものなので
整体家のよってきたるところにおもいをめぐらすのも
おもしろい。

さて
 名古屋である。

名古屋人は 保守的であるというのが ずっと定説であった。
財にひいでた あるいは貯蓄好き というのも名古屋人を指し巷間に喧伝された
いずれも 名古屋人のある一面をつたえることにはちがいないが
 本筋とは距離をおく逸話と解釈しておけばいい。



ただし こと整体に関して言えば 
こうした逸話も象徴的に名古屋をとらえているかもしれない。

つまり 突出した 挑戦的な 実験的な 革新的な 伝統を解体する
整体が 人口比率からいって少なく
比較的 「おとなしい」整体が多い。

「おとなしい」 とは 施術のスタイルがソフトで無痛を標榜している事をいうのでなく
整体家の個性が前面に表現されてこないことを指し
言葉をかえて言えば
整体家とか 整体師とかの呼称が似合わない整体 といえるかもしれない。

その意味では やはり 名古屋の整体は
 おしなべて保守的といってもいいのかもしれない。

そもそもが 名古屋では 「整体師」はまだしも 
整体家の呼称が定着していない。


もともとが 整体というものがもつ 本来のあいまいさが
整体が整体を打ち破りながら 脱皮していく困難さをようしていて
整体家を名乗るには
独自な見解と 独特な技法を論理においても臨床においてもしめさねばならず
容易なことではなく 旺盛な探究心と 数多い臨床経験が裏打ちされていないと
物笑いとなってしまう あやうさが整体にはあって
整体家の呼称の定着をさまたげているのだろう。
もちろん整体家を名乗るには
その背後に 百千の屈辱 
ももちのくつじょく があるのが普通で
おいそれと自称できないが・・・・・


整体というと 一般的には ポキポキと骨格矯正の打音をならすことだと
思い込んでいる人も かなりいて
整体というだけで 眉に立て筋を示す人も多い。
もちろん それも整体技法のひとつなのだが
骨格矯正の痛快な打音を小気味よく響かせるのが 整体の最終点ではない。

では 整体の最終点とは何なのか?
一言で要約すれば それは
各部位の症状や現象を 総身体的な観点から解釈することで
その解釈こそが 整体なのであり 整体家のめざすものである。

こうした 整体の最終点に向かって
名古屋にて
突出した 挑戦的な 実験的な 革新的な 伝統を解体する 整体家の出現を期待したい。
名古屋に 新しい整体家がおどりでてくる時機は熟している といってもいい。

なぜなら

その好機のひとつに 高齢化に向かい 100歳まで歩行できる体をつくる機運があること。
つまり 高齢になっても元気に歩行できる体つくりを
早くから準備することに目覚め始めた階層があることで
こうした体つくりに 整体の見地は最も適した回答がだせるはずである。
文字どうり 
100年の大計 たいけい で体つくりをする時代になったのである。

今後 必ずや 医療費の保険控除は変動し 医療費の支払高騰となり
コレを先取りする形で 病院に頼らない体をどう作るかが課題になってくる。

もちろん こうした機運は 名古屋のみならず 日本中の大きな潮流なのだが
名古屋の街は
適度な都市化の街並み、
喧騒と静寂の程よい比率、
車で移動しやすい交通事情、
買い物がしやすい生活圏の保持、
都会と山里の隣接
などなど すこぶる高齢者が自力で住みやすい環境となっている。
こうした 条件がととのっている名古屋の街は
よく観察すると
長寿で なおかつ自力で歩行できる体つくりにかける執念が町中に満ちている。
名古屋は そういう都市である。

高齢につれて
 それまでは思いもよらない体の変化に毎日が一喜一憂の連続の日々をおくることになる。
時に 意気消沈し 時に 安堵し ささいな心理の葛藤の連続
 みずからの一挙一動に 鋭敏になっていくのが齢をかさねるということなのだ。

その 体の変化への鋭敏こそが
つまりは 体の改造という大計 たいけいに突入する入り口となる。



実際、整 体  M I K U N I  に 
来院する高齢の方は ひとたび当面の痛みや不調や不快が山を越すと
爽快になった 新しい朝に 身体の改造に取り組もうという意欲がわきあがり
その後 体を作り直そうとする執念がうまれ
しだいに すさましい創意工夫で体を鍛錬しはじめる。
実にこうした 徹底した身体管理と 身体改造への強烈な意欲は
 整体家をゆすぶるものがある。

とりわけ
 整 体  M I K U N I の根拠地のある 名古屋 覚王山は
根っからの地元で生き抜いてきた 生粋の名古屋人が集中しており
順風満帆な人生を送り かたや 厳しい風雪に耐えぬき と
さまざまな経験をへてきた高齢の方も多く
健在の方は さらに健在に 不調のある方は必死にそれを克服しようとする姿は
鮮烈である。

老化したからだを蘇生させる秘術は 整体的見地の中に横溢している。
それらを たくみに取り入れ さらにみがきをかけ
一刻も早く
突出した
 挑戦的な 実験的な 革新的な 伝統を解体する整体家が
 きら星のごとく 名古屋の整体界におどりでてほしいものである。
 
 
関節の痛みに 整体はどう立ち向かうのか?
 
 

整体家を泣かせるひとつが 関節の痛みの治療で とくに変形性関節症と呼ばれるものである。



変形性関節症とは 人が年齢が加わることが主原因で関節が変形し

痛みなどが発症することで

単なる 膝の使いすぎという単純な原因ではなく

年齢の問題プラス身体の使い方の複合した要因があるので

治療方針を決定するに慎重をきす。



関節といっても 数あるが

膝と股関節がその中でも 一番やっかいなものである。

なぜ やっかいかというと この膝と股関節は絶えず相当な体重がかかり

重力負荷に対しては もっとも過酷な重圧がかかっており

静養と運動の兼ね合いがむつかしく

痛みがあるからといって 動かずにいるとさらに退化し自然治癒から遠のき

無理して動きだしその加減をあやまると痛くて耐え切れず

どうしてよいかわからず 結局途方にくれることが多いのだ。

こうした変形性関節症の本質をつきつめると 

つまりは関節内部の軟骨の変性と喪失と回復にあるといえる。

つまりは 年齢とともに軟骨の体積が減少し

水分が低下し

軟骨強度が低下し

繰り返しの軟骨の刺激に弱くなってしまう。

こうして軟骨の形状もパワーも変質する こらが変形性関節症である。

軟骨の厚みは薄い。わずか 1mmから5mmで

膝の軟骨は 5mmである。

こうした状態が 軟骨に起こるとその影響は 

じょじょに外側に波及していく

外側とは、

滑膜 関節包であり これらが炎症をおこし また肥大して変形する。

これを変形性関節症という。

であるから 変形性関節症の発症順序としては まず軟骨が変形し

次に滑膜 関節包が変形する。

下の図を見てほしい、 膝を例にして 左が正常 右が変形した状態。



整体は この状態にどういう考えにたって治療するのかというと

基本は 軟骨・滑膜・関節包の修復と回復である。

滑膜と関節包は 以外と修復されやすい それというのも

滑膜と関節包は 血管が豊富に存在し 血液が修復のにない手となり修復に存分に働く。

したがって 整体技法により 骨膜と関節包に新鮮な血液をおくりこむ。

問題は 軟骨である。

それは ヒトの関節軟骨修復能力は 非常に乏しいというのが永年にわたる医学の常識であった。

が 2007年頃からだろうか いわゆる関節鏡のテクノロジィの進歩によって

関節軟骨の欠損の自然経過を追及していくことが可能になり

結果 微弱ながらも 関節軟骨の自力修復能力があきらかになってきたのだ。

ただし 軟骨自体は神経も血管も存在しなく 

軟骨細胞への栄養供給は滑膜につつまれた関節液に依存していることには変化ないため

いかにくずれた滑膜と関節包をたてなおし 

軟骨への栄養基地としての能力を高めてやるかにかかっているといえるだろう。

つまり 軟骨を制すために 滑膜と関節包なのである。

次に 視野をもっと広くし 下肢全体からの取り組みをする。

筋肉のリハビリと重心アライメントの修正により

膝の異常な負荷を是正し

下肢を軽快にする。

筋肉のリハビリは もちろん筋肉繊維を強化し筋力をアップすることもひとつなのだが

筋肉の柔軟性も同時に高めていかないと

短時間で筋力のアップに直結しない。

であるから 筋力アップのトレの前には まず筋肉の柔軟性の回復を行う。

さて 重心アライメントの回復であるが

このフィールドが 整体が最も整体らしく活躍できる場所であり

整体的な見地での重心アライメント修復は 

単に下肢のみの 局限したアライメントではなく 全身的である。

それは 肩甲骨を開放し 脊柱をストレートにし 骨盤を正常なポジションに回復し

仙骨を自由にし 股関節の硬直をただし しかる後 下肢全体の矯正にうつる。

これらの一連の基本的な手続きをへて それぞれの関節の痛みの軽減に向かう。
 
   
ふたたび、『関節の軟骨はよみがえる』 について
 
 

関節の痛みに立ち向かう整体家にとって

関節軟骨の自然修復再生のメカニズムを施術に取り入れることは

ことのほか重要である。

すぐれた演奏家はたえず名器を欲し続けるが

同様に 整体家も向上心があれば 

あらゆる医学の最新の成果を身につけたいという

欲求につきうごかされている。


関節の軟骨の自然修復再生については 

2012年現在、やっとそれが可能であることが証明された段階であり

実は 今だ不明な点が多く

軟骨修復の過程が病理学的に明らかにされている例が少なく

よって これを援用し 徒手的な治療として確立する根拠に弱さがあるのが現状である。

つまり

関節の軟骨の自然修復再生を 整体家の手によって
 
実現する論理性が確立されていないといえる。

こうした中にあって 関節の軟骨の自然修復再生を考えるに

注目すべき 医学研究をみつけた。

2010年7月30日の金沢大学医学部の学会誌によれば、

60匹のラットに 膝軟骨の損傷を与え 関節の軟骨の自然修復再生を追跡し

よって 軟骨の自然修復再生のある性格を推論しようとする試みである。

ある性格とは何かというと

軟骨修復の差異が 軟骨にかかる荷重部と非荷重で明瞭である、

つまり 荷重が適度にかかった方が 軟骨修復が良好ということである。

なぜ荷重がかかった方が良好かというと

そもそも関節軟骨は 血管とリンパ管を欠いている為 

その栄養は関節液の軟骨内への拡散に依存しており

この拡散には

関節運動と関節への間欠的な荷重による軟骨の圧縮と復元が必要である。

つまり この関節運動で軟骨組織の栄養状態は向上し

軟骨細胞の代謝は亢進する。

また これにより一般細胞から軟骨細胞への分化が促進される。

本学会誌の論文は

適度な荷重が関節の軟骨の自然修復再生を促進することをのべたのであるが

ひるがえれば

人間の関節の軟骨の自然修復再生にも

この原理を援用し 適度な荷重を施術によりあたえることで

修復につなげる根拠となる。

適度な荷重をどう実現するのかは 整体家の独創を待つこととなる。

それは 力学的な直接の負荷となるか、

温度による荷重となるか、

微妙な振動となるか、

はたまた 間接的な婉曲の荷重となるか、

考えられる手技は 際限がない。
 
   
『名古屋』 を 整体的に観る
 
 

名古屋の都市を 整体的に観ることによって

整体とは 何なのかを考えるよすがとしてみよう。


名古屋が都市の体をなすのは

家康が天下を掌握した後からの時点からで

この時期から今まで ひとえに名古屋の中心は名古屋城となっている。

もちろん 政治から経済からすべてにわたって

名古屋城が文字どうりの中心で都市機能を維持した江戸時代と

象徴的な意味でしかなくなった現在とでは

その求心力は全くちがうのであるが

都市景観からいって

名古屋城はやはり都市の中心といえる存在感と奥行きをもっている。

名古屋市庁も 城の隣で市旗をひるがえしているのは

権威と力量のみなぎりを感じさせ

圧巻である。

おしいのは 城の北側に大きな隣接する公園があり

市民の楽しめる空間があってよいが

城の南側をそうした市民が集まれる空間が全く無く

すぐに道路にさえぎられてしまっているのは

街の余裕の無さと味気なさを感じさせ

残念でならない。

これは

名古屋城の象徴性を十二分にいかしきれていないだけでなく

名古屋城から南方向にのびてゆく名古屋の街の性格を

悲しく特徴づけてしまっている。

つまり

本来 名古屋城から南の熱田神宮に向かい

街つくりが行われて

太い動線が名古屋城から南の海にむかって描かれていたものが

その出はじめから盛り上がりの欠如した動線になってしまっていいることで

名古屋城が完全に南に伸びてゆく街の動線の中に組み込まれず

景観上の遺跡にとどまってしまっている。

もし 名古屋城の南に市民の憩いの大きな空間が存在すれば

名古屋城は 街の中に有機的にツナガリと連携が生まれ

名古屋城の意味合いがもっと輝くものになっていたに違いない。

お城が街と寸断されてしまっているのだ。

その意味では

名古屋城を中心とした名古屋の都市計画は

片手落ちである。

もともとは江戸時代

名古屋は城からまっすぐ南にのびて熱田神宮の横の海につながる

南北の太い動線が町のメインストリートとなっており

併行してその西側を南北に流れる堀川が物資運搬の中心となっていた。

現在では熱田神宮から南は広大な土地が埋めたたてられ工業地帯となっているが

昔は これらの地域は海の中であった。

今後 大地震がおそった場合 熱田神宮より南は海に埋没するゆえんである。

整体的にこうした地理を観た場合、

かつて 名古屋城と海とを強固に結ぶ南北の太い動線は喪失し

ひたすら工業の為に 海の間際に工業エリアを創設し

海と名古屋の中心を結ぶ文化的つながりを放棄してしまったといえる。

つまり 工業の発展の為に南の海との文化的景観と動線を犠牲にしたといえる。

これが何を意味するのかというと

港湾都市の場合

 たえず街中と海とは排出と吸収の相互依存の関係にあるのだが、

名古屋の場合 その相互依存の関係を工業の分野を優先してしまった為

文化的な排出と吸収の相互依存をなくしてしまったと 言い換えれる。

その意味で 文化的に名古屋は魅力の薄い都市に墜落したといえる。

ただ 工業も文化の一翼という視点に立てば

工業都市名古屋の価値もあるが

かぐわしい匂いたつ港湾都市とはいえない。

したがって 名古屋の海にのびる南の方角は実利をめざす方角といえる。

これが 名古屋の都市を決定的に性格つける事となっている。

これを整体的に名古屋の南方を観ると

街の中心から海に向かうにしたがってなぜか緊張をしいられることになり

本来 海に向かうにしたがってヒトはリラックスしてくるのとは

少々違った様相になり

精神的なやすらぎとは異質の ある実利的な方向に意識はかたより

南方は緊張を高める方角と位置つけられる。


さて 次に名古屋城の北を観てみよう。

名古屋の北限は庄内川と矢田川で区切られるのであるが

そもそも この川の存在そのものが

実は 名古屋の北方を頼りなげな空間にしてしまっている。

どういうことかというと

都市造りの基本は 北に山ないしは丘陵を配置されていなくてはならない。

もちろん これは中国を発祥とする風水の考え方であるので

この風水思想を重きを置かないとすれば又別の考え方もあるのであるが

風水を持ち出すまでも無く

都市構造の中心をなす建造物の背景、すなわち北側の空間に

山ないしは丘陵が存在しなく

平面的な空間しかない場合

じつに落ち着きの無い危うさを感じるのだ。

それは さながら もろい背骨をもったヒトのようにたよりなげである。

いうまでもなく 北に山ないしは丘陵を配すべきという思想は

中心から南の方角に街をつくる考え方の上に立つもので

背景となる北側に高い防御する地形を配し

都市内部の冨を北に流れるのをふせぎつつ、北からの厄の進入を防ぐ意味がある。

そうした観点からいって

名古屋の北方をながれる 二つの河川は

名古屋の集積した文物や冨を 容易に流失してしまう象徴となってしまう。

こうした意味で 名古屋を整体的にいうと、

バックボーンに頼りなさに欠ける名古屋はあやうく はかなげである。



次に名古屋の西をみてみると

 その西限は北から流れてくる庄内川であり この庄内川が名古屋の北と西を区切る。

この庄内川を背景に 名古屋城の西に鉄道の名古屋駅が位置する。

この名古屋駅が西側にできたことにより名古屋の都市形態は変化することになる。

つまり外地からの名古屋への出入り口は かの地となり西が

名古屋の都市入場の入り口となったのである。

じつは このことが

それ以後の名古屋の都市構造が変化していく大きな意味をもつことなった。

この鉄道の名古屋駅ができるまでの 名古屋の入り口は

東海道 今の国道1号線をとおる名古屋の南方であった。

つまり 熱田神宮が名古屋の入り口であった。

もともと 南北の太い動線でつらぬかれていた名古屋の街は

その動線上の末端が 名古屋の玄関となっていたのである。

そして

鉄道の名古屋駅が新しい玄関口となることによって

この南北の動線がくずれ 西から東の新しい動線ができる出発となった。

これが 現在の名古屋の都市の骨格をつくる契機となったのである。

つまり 名古屋駅から東へと発展していく流れ。

地勢的にみて

 東の方面に丘陵があり森林があり緑地が広がり高台があるのが

名古屋の住宅地として発展するに格好であった。

こうした意味で

東の開発と発展が名古屋に精神的なゆとりと奥行きを付与したといえる。

ただここで問題になるのが 名古屋駅の西側の一帯であり

いわゆる駅裏という名のもとに 駅の東への発展とはあまりにも対照的な

位置つけになってしまいその落差がはなはだしくなった。

その差異は 陰と陽 太陽と月 といってよく

こうした差異は 本来陰影に富む街を形つくるものであるが

ざんねんながら いわゆる名古屋駅の西側一帯にその機運はすくない。

こうして 西側のあいまいな存在は 名古屋市全体の不均衡感につながる。

すべての都市には 陰と陽 太陽と月があり 陰影に富み

それがその都市の個性になるのが理想であるが この視点から

整体的に名古屋をみると 西側はその特性を放置され

理想とはほど遠い状態になっている。

それは まるで この部位だけ筋肉を使うことをせずに結果、

筋肉の萎縮により力を失ってしまったようで

切ない。


こうして 名古屋を整体的に観ようとする試みによって

整体とは一体なにをめざしているのかが明瞭になってくる。

つまり それは 一言で言うと

『動的な平衡』をめざしているのであって

動きのなかでバランスを保てるようなカラダを回復すること。

動物がすべて 動きや変転や流転のなかで あやういながらバランスを保つことで

健康を微妙に維持しているという 生物学のテーゼを『動的な平衡』といい、

整体とは まさにこの動きのなかでバランスを追求することだったことに

いきつくのである。

都市もまさに 『動的な平衡』の視点で見直すとき

都市そのものの健康を回復できるよすがとなるであろうか?